観覧車はどこにあった?大阪「玉手山遊園地」の痕跡を徹底調査!開園当時からあった音楽堂も発見
ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は前回に引き続き、全国100万キロ以上の道を巡ってきた道マニアの鹿取茂雄さんが、大阪府にある公園から歴史を紐解きます。
明治時代に造られた「玉手山遊園地」の痕跡を探す

前回、「『玉手山遊園地』の跡地で当時の痕跡を探してみたい」と柏原(かしわら)市を訪れた鹿取さん。遊園地の跡地は現在、市が管理する「柏原市立玉手山公園」になっていますが、そこには当時の痕跡が残っているとのことで探索することに。
明治41年に開園した「玉手山遊園地」は、現在の近鉄にあたる大阪鉄道によって運営されましたが、平成10年に惜しまれつつ閉園しました。

鹿取さんは「東京の花やしきに次いで、2番目に古い遊園地」と言い、公園内には当時使われていたと思われる入場門やモニュメントなどが今も残されています。
子どもの頃に何度も通ったという地元の方によると、特に人気だったのは観覧車と100m規模のすべり台だったとのことで、鹿取さんは前回に引き続き、その痕跡を探すことに。園内の道を歩いていると…

(道マニア・鹿取茂雄さん)
「野外劇場!これはいいですね。残っているものですね。スーパー戦隊のショーをやっていたのかな」
遊園地の面影を色濃く残す野外劇場が姿を現し、イベントなどが開催されていたであろうステージや座席に思いを馳せます。
その後も、テントが張られた休憩場やベンチなど、至る所に遊園地の名残が見られたものの、観覧車やすべり台の痕跡は見つからず…。
観覧車の場所がついに判明!?意外な歴史も

一体、すべり台と観覧車はどこにあったのか?真相を突き止めるべく、「柏原市立歴史資料館」の館長から園内を案内してもらいます。
(柏原市立歴史資料館・館長)
「この丘に立っている石の塔は、江戸時代に建てられたもの。『大坂夏の陣』がこの辺りで始まり、亡くなった大勢の武士への慰霊に建てられた」
また、その戦で亡くなった豊臣方の中心人物・後藤又兵衛(またべえ)を弔った石碑も建てられているとのこと。さらに…
(柏原市立歴史資料館・館長)
「この丘の下は、実は1700年ぐらい前の古墳」
柏原市や隣の藤井寺市周辺は日本有数の古墳地帯で、慰霊の塔が立っている場所も、110mの古墳があったと言われています。

続いては、再び遊園地時代の痕跡探しへ。「明治の開園当初からあった建物で、すごく貴重」と案内してもらったのは、開園当時から存在していたという音楽堂。道沿いにあるかわいらしい東屋の中で音楽隊が演奏し、園内を盛り上げていたそう。
また、屋根の上に付いているマークは、大阪鉄道の前身である河南鉄道の社章が使われているとのこと。

道中で散見される座席番号付きのベンチにも歴史が。かつて近鉄が運営していたプロ野球チーム・近鉄バファローズの本拠地だった藤井寺球場を改修した際に移設されたもので、園内の至る所に球場のベンチが点在しています。

続いて案内してもらったのは、50mのすべり台の痕跡。「これがすべり台の基礎。急勾配で子どもたちに一番人気だった」そうで、コンクリート製の基礎が階段横に今も残っています。
途中で見た野外劇場は当時から場所は変わっておらず、ヒーローショーや音楽イベントなどが行われていたそう。そして…
(柏原市立歴史資料館・館長)
「観覧車は、野外劇場の観客席の後ろのスペースに存在していた」
意外にも、山頂ではなく劇場近くにあったことが判明。そんな観覧車の貴重なパーツが保管されているとのことで、見せてもらうことに。
(柏原市立歴史資料館・館長)
「観覧車に使われていた扉の一部を展示している。当時の姿を思い浮かべてもらえたら」
かつて園内には様々な遊具があり、連日客足は絶えず賑わっていました。しかし、ジェットコースターなど絶叫系マシンがなかったこともあり、90年代以降は徐々に他の遊園地に人気が移り、閉園にいたってしまったと言います。

100mのすべり台は昭和62年までありましたが、現在、その辺りは携帯電話の基地局が立っており、すべり台の痕跡は残っていないそう。昭和36年の園内地図によると、すべり台は全部で3本あり、封鎖されている立入禁止の場所にはすべり台における注意書きの看板が今も残っています。
CBCテレビ「道との遭遇」2026年3月3日(火)午後11時56分放送より





