素朴な疑問。戦国武将は戦のない時は何をしてた?
多くの武将がしのぎを削っていた戦国時代。しかしこの時代は四六時中戦闘が続いていたわけではありません。では、戦がない時の日常は、戦国武将はどのような生活をしていたのでしょうか?5月30日放送『北野誠のズバリサタデー』(CBCラジオ)では、『戦国武将は戦がないとき、何をしていたのか』(ポプラ新書)の著者で、歴史作家・歴史研究家・多摩大学客員教授の河合敦先生に、北野誠がインタビューしました。
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この記事をradiko(ラジコ)で聴く意外にも規則正しい生活
武将の普段の生活の例として挙げたのは、小田原を支配した北条一族の北条早雲。
北条氏は家訓を細かく作っていて、夜は8時までに寝て、朝は早く起き8時までには出勤すると決めています。
さらに朝の洗顔前にトイレや庭を見回って掃除する、素早く顔を洗わないと水がもったいない、といった細かなことまで書かれていたとのこと。
豪快なイメージの戦国武将ですが、多くは北条早雲のように規則正しい生活を送っていたようです。
実は織田信長も朝は必ず馬に乗り、鉄砲の稽古や弓の訓練、兵法の学習を行ない、ときどき鷹狩りにも出ていたのだそう。こうした規則正しい生活でも戦に向けた準備は怠っていなかったようです。
家康は健康オタク
規則正しいといえば、伊達政宗も朝起きると必ずタバコを3服吸って行水をしていました。その途中に献立表をチェックしていたそうです。
また、健康オタクで長生きとして知られる徳川家康は、100種類以上の薬を作って飲んでいたそうです。
さらに毒殺に備え、あえてヒ素を少しずつ飲んで耐性をつけていたそうです。
また、家康は亡くなる前まで野山を駆け回って鷹狩りをしていたそうで、動き回ることが健康に良いことを知っていたようです。
家康は75歳まで生きた家康に対し、62歳で亡くなった豊臣秀吉が同じくらい長生きしていれば、もしかすると徳川幕府は誕生しなかったのかもしれません。
子孫を残す考え方もさまざま
戦国武将にとって最も大切な務めは自分の家を守ること、つまり子孫を残すことです。
その方法は武将によってまちまちだったそうです。
秀吉のようにいろいろな女性に声をかけていく武将もいれば、明智光秀のように側室を持たず妻は1人だけという武将もいました。
側室を設けて何人ものこどもを産んでもらうことが一般的だったようですが、黒田官兵衛や石田三成は側室を持たなかったり、キリシタン大名には一夫一妻の考え方が根底にあったり、毛利元就は正妻がいた時には側室を置かなかったとのこと。
毛利元就の息子である吉川元春や小早川隆景も、父の影響からか側室はいません。
一方で徳川家康はこどものいたバツイチの女性を側室に迎えていたそうで、これは1人産んでいるから2人目以降も産みやすいのではないか、との考えによるもの。
ただし、晩年は若い女性を好んでいたようですが。
ひと口に戦国武将といっても、考え方や暮らし方はさまざまであるということが、この本から学ぶことができそうです。
(岡本)
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