遊園地へ行くために造られた橋!?大阪・藤井寺市「玉手橋」の知られざる歴史とは?「玉手山遊園地」の痕跡を探す旅
ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、全国100万キロ以上の道を巡ってきた道マニアの鹿取茂雄さんが、大阪府にある吊り橋と公園から歴史を紐解きます。
鉄道会社が造った人道橋!?遊園地へ行くための「玉手橋」

訪れたのは、大阪府藤井寺市にある、石川に架けられた吊り橋。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「この『玉手橋(たまてばし)』は、見た目も変わっているが、歴史も変わっている。造ったのは行政ではなく、当時の大阪鉄道。今で言う近鉄が造った人道橋で非常に珍しい」

昭和3年、のちの近鉄となる大阪鉄道によって造られた「玉手橋」。100年近く歩行者・自転車専用の橋として使われてきました。しかし、なぜ鉄道会社が鉄道橋ではなく人道橋を造ったのか…?
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「橋の向こう側の柏原(かしわら)市に、大阪鉄道が造った玉手山遊園地があった。そこへアクセスするのに、最寄り駅の『道明寺(どうみょうじ)駅』からだと北側にある橋まで迂回しないといけなかった。それだと不便なので、すぐ行けるルートとして遊園地に行くための道を鉄道会社が造った」

明治41年に開園した「玉手山遊園地」。大阪鉄道が運営し、平成10年まで存在していました。最寄りの道明寺駅からのアクセス路として玉手橋は造られましたが、遊園地が閉園した後は市が管理する公道になっています。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「吊り橋にしては橋脚の数が多く、5径間(けいかん)の吊り橋は日本でここにしかない。遊園地に行く人に楽しんでもらえるように、あえてこういう構造にしたと思う」

玉手橋には橋脚が4つあり、橋脚と橋脚の間“径間”が5つあるのは珍しいと言う鹿取さん。
その希少な構造もあり、吊り橋としては日本で初めて登録有形文化財に指定されました。デザインはお客を楽しませるため、中世ヨーロッパをイメージして設計されたと言われています。
明治時代に造られた遊園地の痕跡を探す

続いては、玉手橋を渡ってその先へ。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「玉手山遊園地の跡地で、当時の痕跡を探してみたい」
遊園地の跡地は現在、市が管理する「柏原市立玉手山公園」になっていますが、そこには当時の痕跡が残っているそう。
柏原市に入り、当時メイン通りだったという住宅街の道を進むと、電柱には玉手山遊園地への案内が今も残されています。

今は住宅が並んでいますが、かつてメイン通りの周辺にはイチゴ畑が広がっていたそう。
住宅街を進むこと15分。見えてきたのは、当時使われていたと思われる赤い入場門。公園の入口として今も残されています。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「玉手山遊園地ができたのは、明治41年。東京の花やしきが日本最古の遊園地で、それに次ぐ2番目に古い遊園地」

チケット売り場だったと思われる場所も当時の面影が残っており、施設内には他にも、大きな屋内施設「おたのしみ館」の看板やモニュメント、カート用のレールなども見られます。

遊園地時代の一部の有料遊具は公園になってからも使われていたそうですが、利用者の減少に伴い、2025年廃止になりました。
子どもの頃に何度も通ったという地元の方から、特に人気だったのは観覧車と100m規模の滑り台だったと聞き、鹿取さんはその痕跡を探すことに。すると…

(道マニア・鹿取茂雄さん)
「柵の向こうにコンクリート製の何かがある。形が滑り台っぽい」
これが滑り台の痕跡だとすれば、近くに階段があるはずだという鹿取さん。しかし、階段をくまなく探してみるも、それらしいものは見つかりません。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「これは滑り台ではなく、排水用かもしれない。かなり気になる構造物」
謎を残しつつ、次週は遊園地跡をさらに徹底調査!滑り台と観覧車があった場所を発見できるのか…?そして、この土地に隠された知られざる歴史にも迫ります。
CBCテレビ「道との遭遇」2026年2月24日(火)午後11時56分放送より





