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名古屋テレビ塔と兄弟!?古希を迎えた通天閣の歩み

名古屋テレビ塔と兄弟!?古希を迎えた通天閣の歩み

大阪・新世界の観光名所、通天閣が10月28日、再建後の開業から70周年を迎えました。日暮れには古希を象徴する紫色にライトアップされ、お祝いムードに包まれました。大阪市を縦断する新路線・なにわ筋線の開業を控えるなか、通天閣の知名度を生かした地域活性化に期待が高まっています。10月29日放送の『CBCラジオ #プラス!』では、ジャーナリストの北辻利寿さんに、通天閣の歩みと今後について伺いました。

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初代は博覧会の跡地に

現在の通天閣は2代目。初代は1903年(明治36年)に大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会の跡地に建てられました。

内国勧業博覧会は国内の産業発展を目的としたもので、明治時代に東京で3回、京都と大阪で1回ずつ、計5回行なわれています。昨年を含め大阪で2度開催された万博より、ずっと前のことです。

初代通天閣が完成したのは、明治の最後にあたる1912年(明治45年)。名前は、「天に通じる高い建物」に由来するという説があります。高さは75メートルでした。

凱旋門に塔をのせた姿

初代は形がユニークで、パリの凱旋門の上にエッフェル塔をのせたような、北辻いわく大阪ならではのデザインでした。 

ところが第2次世界大戦中の1943年(昭和18年)、凱旋門部分の足元にあった映画館で火事が起き、初代通天閣は解体されてしまいます。当時は鉄も必要だったため、その供出も兼ねた取り壊しでした。

戦後、シンボルを求める声を受けて1956年(昭和31年)に再建されたのが、2代目通天閣です。

完成時の高さは103メートル。開業60年を記念して避雷針を延ばし、現在は108メートルになっています。

「塔の博士」が生んだ名建築

通天閣は、名古屋のテレビ塔(現・中部電力 MIRAI TOWER)とも縁があります。どちらも同じ内藤多仲(たちゅう)の設計です。

内藤は明治19年生まれ、山梨県出身の建築家。通天閣と名古屋テレビ塔に加えて東京タワーも設計し、「塔の博士」と呼ばれました。

さらに、建て替え前の歌舞伎座の構造や、宮部和裕アナウンサーの母校である早稲田大学の大隈記念講堂も手がけています。

北辻「まさに、通天閣の兄弟、いっぱいいます」

街なかで10秒のスリル

宮部はコロナ禍の後に通天閣を訪れ、展望台で幸福の神様・ビリケンさんと一緒に写真を撮りました。その後に体験したのがタワースライダー、街なかで味わえる「おもろスリル」だったと話します。

タワースライダーは、地上22メートルほどの3階部分から地下1階までを滑り降りる、体験型のアトラクションです。全長60メートルを10秒ほどで下ります。

北辻は怖くて、まだ乗ったことがないそうです。

宮部「あっという間ですが、落ちた瞬間もまだまあまあ高いので、その先に『串カツ二度漬け禁止』の街並みがあるので、そこに降っていくんじゃないかっていうスリルが」

北辻「串カツソースの中に飛び込んじゃう?」

宮部「二度漬けどころか飛び込んじゃいけません」

古希の塔に新たな役目

タワースライダーができた翌年には、年間の入場者数が137万人に上りました。その後も130万人を超える人気が続いています。

2031年には、大阪の都心部を南北に結ぶ「なにわ筋線」が開業する予定です。大阪駅の北側では「うめきた」の街づくりも進んでおり、人の流れが大きく変わるとの声もあります。

大阪駅から関西空港へ向かうルートの途中にあるのが、通天閣に近い新今宮駅です。

北辻「70歳になったけど、ますます重要な役目を果たしていくんじゃないかと言われますね」

宮部「ますますお元気で、ますますおもろくて、というシンボルです」
(minto)
 

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