世界の国に広がった「点字ブロック」は真心こもった日本生まれ

世界の国に広がった「点字ブロック」は真心こもった日本生まれ

日本各地の歩道や駅のホームに設置されている黄色いプレート。今や世界の多くの国でも見られるようになった「点字ブロック」は日本で生まれた。

「三宅精一さん」提供:(一財)安全交通試験研究センター

1926年(大正15年)岡山県倉敷市に生まれた三宅精一さんは、旅館業を営みながら、発明家としても知られていた。ある日、通りがかった交差点である風景と遭遇した。白い杖を持った目の不自由な人が道路を横断しようとしていたすぐ前を、車が勢いよく走り抜けていった。「これは危険だ」。視力に障害がある人たちが、安心して街を歩くことができるように、何か方法はないだろうか?アイデアマンだった三宅さんは考え始めた。

「最初の点字ブロック」提供:(一財)安全交通試験研究センター

そんな時、視覚障害がある友人から、こんな言葉を聞いた。

「靴を履いていても、足の裏の感触で地面の状態がわかる。自分も苔と土の境目もわかる」

路上に何か工夫できないだろうか。三宅さんは建設関係の仕事をしていた弟の三郎さんと相談して、コンクリートブロックの表面に、突起物を付けることを思いつく。そして、ドーム型、半円の突起物を、縦7個と横7個、合わせて49個並べた正方形のブロックを作り上げた。そして「点字ブロック」と名前をつけた。

「点字ブロック渡り初め式」提供:(一財)安全交通試験研究センター

三宅さんが発明した「点字ブロック」は、1967年(昭和42年)3月18日、岡山県立岡山盲学校(当時)近くの国道交差点に設置された。その数は全部で230個、三宅さんは自らの資金を出して、それを設置した。日本生まれの「点字ブロック」が初めてお目見えした日だった。渡り初め式には、三宅さんたち開発に関わった人たちと盲学校の生徒たちが参加した。今では毎年3月18日は「点字ブロック」に日に定められている。

「点字ブロック」を日本全国に広げようと三宅さんは動き出した。当時の日本は高度成長期の真っ只中で、福祉面にはなかなか光が当たらなかった。しかし、そんな中、大阪の盲学校から「駅のホームにも点字ブロックを付けてほしい」という要望が、当時の国鉄(現・JR)に届いた。それを受けて国鉄も動き出した。1970年に大阪の国鉄「我孫子」駅のプラットホームに、駅としては初めての「点字ブロック」が設置された。その後、東京都も交通安全モデル地区に「点字ブロック」を設置、その輪は日本各地に広がっていった。

CBCテレビ:画像『写真AC』より「誘導ブロック」

初めはコンクリートと同じ色だった「点字ブロック」は、やがて鮮やかな黄色になった。黄色が選ばれたのは、路面と違う明るい色によって、視力が低下している人にも見分けてもらうことができるためである。「点字ブロック」は2001年にはJIS規格によって形が決められた。さらに進む方向を示す棒状の「誘導ブロック」や階段などの手前で注意を呼びかける「警告ブロック」も登場した。米国、中国、ロシアなど70を超す国々が、三宅さんが発明した「点字ブロック」を取り入れた。2012年には国際規格としても認められ、今や世界各国で、岡山市で誕生した「点字ブロック」が活躍している。

目の不自由な人たちにも安心して街を歩いてほしい。ひとりの日本人が路上に灯したバリアフリーの心が、世界中の街角で人々を真心こめて包み込んでいる。日本生まれ・・・「点字ブロック」は文化である。それは真心(まごころ)の文化である。

【東西南北論説風(283)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

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