ザビエル?シャビエル?日本にキリスト教をもたらした宣教師
CBCラジオ『伝令!武将が現世でラジオを始めたようです!』は、400年の時を経て現代に蘇った名古屋にゆかりの武将たちと足軽集団・名古屋おもてなし武将隊(R)。日本の歴史を楽しく紹介する歴史バラエティ番組です。10月25日放送では、前田利家・前田慶次・陣笠隊の足軽・なつの3名が出演し、「この日何の日?」コーナーで日本史の中でも有名な宣教師を取り上げました。
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「この日何の日?」コーナーは、先週土曜日から今日までの1週間の日付で過去に起こった歴史上の出来事・記念日を解説。いくつかある中、前田慶次が挙げたのは…。
前田慶次「此度、儂が挙げたいのは1551年10月24日、ザビエル帰る」
なつ「恐れながら、新暦(現在の暦)によると同年の11月15日にお帰りになっているようでござりまする」
このような日付の食い違いが起こる理由は「暦」。戦国時代は旧暦、月の満ち欠け(太陰)と太陽の動き(太陽)を組み合わせて作られた暦を使っていました。
1か月を「月の満ち欠けの周期(約29.5日)」で数え、1年=約354日(太陽の1年より約11日短い)。そのままだと季節がずれるため、2~3年に1度「うるう月(閏月)」を入れて調整していました。
これに対し、新暦は太陽の動き(地球の公転)を基準にした暦。日本では明治6年(1873年)に旧暦を廃止、新暦(グレゴリオ暦)を採用しました。これにより、季節と日付が安定するようになり現在に至ります。
ザビエルの影響とは
ザビエルとは、日本史の教科書で目にしたことのある人も多い司祭で宣教師のフランシスコ・ザビエルのこと。世界にキリスト教(カトリック)を布教する目的で設立されたイエズス会の創設メンバーのひとりです。
前田利家「信長様の次に有名だと聞いたことがある。絵(肖像画)が知られておって、儂はザビエルという響きが面白くて好きじゃ」
ザビエルが日本にやってきたのは、1549年8月15日に現在の鹿児島市祇園之洲町に来着したと言われています。
彼も含めた南蛮人が来たことにより、鉄砲や鏡など西洋のものが多く伝わりましたが、ザビエルは眼鏡を持ち込んだと言われています。
日本にやってきた目的は前述の通り、キリスト教布教のため。しかし、当時の日本には既に仏教が広く浸透しており、簡単なことではありませんでした。
ザビエルはどうしたら布教の許可を得られるか考えます。
九州地域にキリシタンが多かった理由
まずは到着した薩摩の守護大名・島津貴久に願い出るも、仏僧の意見を聞き入れたために禁教へと傾きます。
その後、ザビエルは京都に向かい、当時の室町幕府将軍であった足利将軍に願い出るも拒否されました。
慶次「どうやったら許可がもらえるか、ザビエル一行は考えた。何かというと、献上品じゃ。眼鏡や小さな銃など、当時の日本にはない西洋の珍しいものをたくさん持って行って許可が下りて、とある地域から始まってどんどん広まっていくと」
そのとある地域というのは、周防国(現在の山口県)。
最初は大内義隆に拒否されますが、その後再度の謁見で多くの献上品を見た義隆が布教を許可、徐々に九州などへ広がっていきました。
その後、ポルトガル船が日本に来たのを機に、ザビエルは後進に任せて日本を去ったのでした。
ちなみにかつての日本では「ザビエル」と教えられていましたが、現在の教科書では「シャビエルと発音する」と記載されているようです。
「現世では親子で発音が違うのではないか?」と驚く3人でした。
(葉月智世)
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