ブーツ像に足を入れて坂本龍馬気分!長崎の写真スポット

幕末の志士として、今なお多くの人々に親しまれている坂本龍馬。土佐(現在の高知県)出身の龍馬ですが、長崎県とも深い縁があります。龍馬が設立した亀山社中ゆかりの地には、龍馬気分で記念撮影を楽しめるユニークなオブジェがあるとか。10月23日放送の『CBCラジオ #プラス!』では、「亀山社中ば活かす会会長」の真崎康三さんが出演し、坂本龍馬と長崎の関わりや、観光スポットとして親しまれているオブジェについて語りました。聞き手は天野なな実と竹地祐治アナウンサーです。
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坂本龍馬は脱藩後、何度も長崎を訪れています。真崎さんによると、初めて長崎を訪れたのは元治元年(1864年)2月ごろ。勝海舟に随行しての訪問でした。
同年6月、龍馬は勝海舟が神戸に開設した海軍操練所で塾頭を務め、船の操船技術などを学びます。しかし、海軍操練所は翌年に閉鎖。勝海舟も職を解かれて江戸に戻ることになりました。
そこで龍馬は、西郷隆盛ら薩摩藩の関係者に支援を求め、長崎で海運事業を始めようと考えます。こうして立ち上げたのが、亀山社中です。
真崎さんは、当初は単に「社中」と呼ばれていたものの、後に地名の「亀山」が付いて亀山社中と呼ばれるようになったと説明しました。
亀山社中は、海運業を手がける組織として知られ、日本初期の近代的な商社の一つとされています。
新婚旅行も長崎と関係
龍馬と長崎のつながりは、亀山社中の設立だけではありません。
慶応2年(1866年)、龍馬は妻のお龍とともに、寺田屋事件で負った傷の療養を兼ねて鹿児島へ向かいました。これは日本初の新婚旅行ともいわれています。真崎さんは、この旅の際にも長崎を訪れたと考えられると話しました。
また、龍馬は土佐藩の後藤象二郎と長崎で会談しています。この会談などを経て、脱藩浪士だった龍馬たちは土佐藩の支援を受けるようになり、海援隊の結成へとつながっていきました。龍馬はその隊長を務めます。
さらに、海援隊の船「いろは丸」が紀州藩の船と衝突した「いろは丸事件」では、賠償交渉などのために龍馬は長崎を訪れました。
こうした出来事を振り返ると、長崎が龍馬の活動において重要な拠点だったことが分かります。
龍馬気分で写真撮影
長崎市には、亀山社中跡を活用した記念館があります。そのすぐ近くのポケットパークに設置されているのが、ユニークな「龍馬のぶーつ像」です。
大きなブーツに足を入れ、舵輪を握りながら長崎の街を見下ろせる造りになっています。龍馬になったような気分で写真撮影を楽しめる、人気のスポットです。
竹地「このブーツっていうのはあれですか。龍馬で有名な写真、台にもたれかかった状態で写真を撮ってますけれども。あの時のブーツですか」
真崎「そうですね」
設置されたのは1995年(平成7年)。亀山社中創設130年を記念して、亀山社中ば活かす会が制作しました。
真崎さんによると、記念碑を何にするか、当時のメンバーが夜遅くまで議論を重ねたそうです。龍馬がこの周辺の道を歩いていたことを踏まえ、龍馬らしさを感じられるブーツをモチーフにする案が採用されました。
工夫された記念碑
このブーツ像には訪れた人が楽しめるよう、さまざまな工夫が施されています。 実際に足を入れて楽しめるように大きさが検討されているほか、内部に水がたまらないよう水抜きも設けられています。
竹地「ジャイアント馬場さんの靴よりもでかいぐらい大きいってことですか?」
真崎「横幅も何倍もあります」
誰もが履けるサイズにすることなど、細かな点まで考えながら制作したといいます。
坂本龍馬ゆかりの地として、歴史を感じられるスポットが数多くある長崎県。亀山社中跡を訪れた際には、ぜひこのブーツ像にも立ち寄り、龍馬気分で記念撮影を楽しんでみてはいかがでしょうか。
(ランチョンマット先輩)
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