『ジャッカルの日』作者は本物のスパイだった!古代から現代まで諜報活動の歴史

スパイ小説の第一人者であり、名作『ジャッカルの日』などで知られるイギリスの小説家フレデリック・フォーサイスが6月9日、86歳で亡くなりました。実は彼自身がMI6(イギリス秘密情報部)の協力者として活動していたことを、2015年に告白していました。6月12日放送の『CBCラジオ #プラス!』では、CBC論説室の石塚元章特別解説委員が、時代とともに変遷してきたスパイの歴史について語りました。
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この記事をradiko(ラジコ)で聴く作家自身がスパイだった
元空軍所属で、ロイター通信やBBCでジャーナリストとしてナイジェリア内戦を取材していたフォーサイス。MI6から協力を求められ、現地の情報を報告していたことを2015年に明かしていました。
1973年には、冷戦時代の東ドイツの博物館で、西側の協力者だったロシア軍大佐から重要な荷物を受け取って東ドイツから持ち出すという、まさに映画のようなことを実際に行なっていたそうです。
『ジャッカルの日』をはじめとしたフォーサイスの小説が面白い理由は、実体験に基づく話だったからかもしれません。
イギリス文学界に潜むスパイたち
イギリスには、元スパイから作家になった人物が多く存在します。
『007シリーズ』の生みの親であるイアン・フレミングは、イギリス海軍情報部に勤務していました。敵地に潜り込むというよりはデスクワークが中心で、情報をまとめる仕事だったといいます。
一方、『月と六ペンス』で知られるサマセット・モームは「本物のスパイ」。1910年代から第二次大戦が終わる頃まで、およそ30年間にわたり情報部員として活動。ロシア革命、ナチスドイツ、日本軍のシベリア出兵など、歴史的事案に関わっていました。
スパイ小説の金字塔『寒い国から帰ってきたスパイ』の著者ジョン・ル・カレもイギリス情報部に所属していた経歴を持ちます。
石塚は「この人のスパイ小説は、冷戦時代のスパイ同士の駆け引きや騙しあい、人間味が描かれていて面白い」と評価しました。
古代から続くスパイの歴史
歴史上、スパイという職業は「最も古い仕事のひとつ」といわれており、なんと旧約聖書にも登場しています。
その中には、モーセがエジプトからユダヤの人々を脱出させた後、カナンの地(現在のパレスチナ地域)に入る前に、神の教えに従って偵察隊を送ったというエピソードがあります。これも立派なスパイ活動といえます。
また、ギリシャ神話のトロイの木馬も「木馬に隠れて敵地に潜り込み、内側から攪乱する」という、典型的なスパイ活動です。
日本でも、戦国時代には忍者が情報収集や諜報活動を担っていました。しかし江戸時代になると忍者の力量が衰えてきたため、8代将軍・徳川吉宗は新たに「御庭番(おにわばん)」という諜報組織を設置します。
御庭番は市中に出て情報を集め、将軍に直接報告する役割を担いました。「御庭番」という役職名なら、庭に入っても怪しまれないという巧妙な仕組みでした。
有名スパイたちの活動
20世紀には数々の有名なスパイが活躍しました。
キム・フィルビーは1920年代から30年代にかけてイギリス情報部員として活動しながら、実は20年間もソ連に情報を流し続けていました。発覚前にソ連へ亡命しています。
レフチェンコはKGB(ソ連国家保安委員会)の職員でありながら、ジャーナリストとして日本に滞在。人脈を作り情報収集活動を行なった後、アメリカに亡命して東京での活動を暴露しました。
現代のスパイ活動「OSINT」
スパイ活動の手法は時代とともに大きく変化し、今や宇宙偵察衛星やドローンでも情報収集ができるようになりました。
石塚が注目しているのは「OSINT(オシント)」という新しい諜報手法です。これは「オープン・ソース・インテリジェンス」の略で、新聞、雑誌、放送、インターネットなど、誰でもアクセスできる情報を収集・分析する手法です。
実際にウクライナ戦争では、公開された衛星写真や現地情報をもとに、一般の人々がロシア軍の位置を特定し、SNSで発信するという現象が起きています。
フォーサイスのような本格的なスパイの時代から、誰でもスマホ片手に情報収集できる時代へ。スパイ活動も大きく様変わりしています。
(minto)
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