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関八州へ移封された徳川家康の家臣、とんでもない苦労に見舞われる

関八州へ移封された徳川家康の家臣、とんでもない苦労に見舞われる

CBCラジオ『伝令!武将が現世でラジオを始めたようです!』は、400年の時を経て現代に蘇った名古屋にゆかりの武将たちと足軽集団・名古屋おもてなし武将隊(R)が、日本の歴史を楽しく紹介する歴史バラエティ番組です。8月15日放送では徳川家康・前田慶次・陣笠隊の足軽・踏舞の3名が出演。豊臣秀吉が家康に国替えを命じた件を取り上げました。

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家康、関八州へ移封された日

「この日何の日?」コーナーは、先週土曜日から今日までの1週間の日付で過去に起こった歴史上の出来事・記念日を解説。
この日取り上げたのは、1590年8月12日、豊臣秀吉の命で徳川家康が関八州へ国替えとなったことが発表された件について。

前田慶次「これは小田原征伐直後の話での、北条氏を滅ぼして誰がどの国を治めるかというところで、秀吉様から『徳川殿は関八州』と移封されたのでござる。
石高としては、以前の150万石から250万石への大幅な加増だったんじゃが、家康様がずっと居られた三河から離れるとはどういう心境であったのか」

実際、石高は増えても関八州は非常に荒れた地。実際のところは石高が増えたように見えても三河にいたころと同じか、少し減るくらいの状態だったそうです。
「将来的に土地が広いので240~250万石取れるんじゃない?」という見込みレベルだったとか。

小田原は選択せず

関八州は、相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野の総称。箱根の関所の東側にある8つの国を指します。

徳川家康「当時、この辺りは沼地での。『こんな地に移封されてどうするんじゃ』と、儂は秀吉殿に惚れ込んでおったから良かったんじゃが、我が家臣たちが怒っておった」

松平家の頃から代々守ってきた三河の地を離れ、縁もなければ何もない関八州。唯一あった北条家の本拠だった小田原城は、町全体が籠城にも耐えうる長期戦闘を見据えた要塞のような地です。家康は、あえて関八州では小田原を本拠にせず、江戸を選びました。

家康「その理由は、秀吉殿もしくは周りの大名たちに対して『儂は軍事的な力を備えるためではない』という風に見せたかったんじゃ。だからあえて何もなかった江戸を選んだんじゃな」

ちなみに江戸の「江」は海、「戸」は玄関という意味があり、海の玄関口で沼地でした。この言葉からも、何もない荒れ地であったことがわかります。

当時の江戸は建築すらままならなかった

当時、この関八州にどれくらい建物を建てられる土地があったのかを「現世のナゴヤドーム何個分くらいあったと思うか?」と前田慶次と踏舞に問いかける家康。

慶次「やはり100くらいはあったんではないかの?」

踏舞「拙者も10くらいはあるんじゃないかと思いまする」

家康「2つ以下と言われている。それくらいしっかりとした柱を建て、建物を造るのに適した土地がなかったわけじゃ」

当時は神田の山を切り崩し、土地を埋めた立てて建てたそうです。秀吉が天下人であるということは、今風に言うと家康は株式会社秀吉の副社長クラス。副社長に謀反や裏切りの噂が流れれば、その座はすぐに奪われます。そのため、あえて江戸で苦労しながら開墾したことで、徳川家の家臣たちはさらに怒りを募らせたそうです。

現世では、家康の力を削ぐためにわざと関八州へ移封したのでは?と言われることも多々ありますが、あくまでもここでは家康は「そんなことはない」と断言。真相は闇の中です。

なお、この後の朝鮮出兵で他の大名が苦労する中、徳川家は特にダメージも受けなかったことがその後の関ケ原の戦いの優位ににつながったとも言われています。
(葉月智世)
 

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