豊臣秀吉が征夷大将軍にならなかった理由
CBCラジオ『伝令!武将が現世でラジオを始めたようです!』は、400年の時を経て現代に蘇った名古屋にゆかりの武将たちと足軽集団・名古屋おもてなし武将隊(R)が、日本の歴史を楽しく紹介する歴史バラエティ番組です。8月8日放送では前田利家・加藤清正・陣笠隊の足軽・太助の3名が出演し、「この日何の日?」コーナーで2人の主君であった豊臣秀吉に関わる出来事2つを取り上げました。
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「この日何の日?」コーナーは、先週土曜日から今日までの1週間の日付で過去に起こった歴史上の出来事・記念日を解説。いくつかある話題の中で取り上げたのは、豊臣秀吉に関する出来事2つです。
まずは1585年8月6日、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が近衛前久の猶子となり、関白に就任した件について。
加藤清正「関白というのは位を表しているんじゃけども、これがどれほどすごいのかをまず申して欲しい。儂が言うと、豊臣家家臣じゃから疑いをかけられてしまうからの(笑)」
前田利家「難しいんじゃけど、現世の者にわかりやすく言うとすごく偉いよ、という感じじゃ。現世の者が歴史を習っておったら『摂関政治』という言葉を知っておろう。摂政と関白、この国の政治を司る2大役人なんじゃが、そのうちの1つに就いたのがこの日というわけじゃ」
関白に就いたということは、天下人として認められたも同義。征夷大将軍ではありませんでしたが、朝廷の中で最高位の役職に就いた日ということになります。
ちなみに関白は成人している天皇、逆に摂政は幼少の場合と天皇の年齢によって呼び方が変わるのがポイントです。
天下人と天下統一の違い
その関白就任から5年後の1590年8月4日、今度は豊臣秀吉が小田原城を治めていた北条氏直を降伏させたことで小田原征伐が終了。名実ともに天下人となりました。
利家「現世の者が勘違いしておるのが、『天下を取る』ということと『天下統一』は違う意味の言葉なんじゃな。天下を取る、すなわち天下人というのは日本の政治を任されるということじゃ。
実際に日本の政治を任されておっても反抗する者たちがおる。その反抗する者たちがいなくなった状態を「天下統一」というんじゃ」
1585年に関白に就任したということは、天皇(朝廷)から政治を任されていたものの、反抗する者(小田原の北条家)がいたためこの時点では「天下人」。
しかし、政治を任されている以上、反抗する者がいるということは征伐の大義名分を得ることになったのです。
秀吉の天下統一の定義は複雑
天下人となったことで堂々と北条家を征伐することが可能となり、豊臣秀吉は大軍を率いて小田原へ北条征伐に赴き、北条氏直が降伏。これで歯向かう者がいなくなったということで天下統一が「ほぼ」完成したことになります。
利家「ここで言葉を濁したのには理由があるんじゃ。この後、東北で九戸政実(くのへまさざね)の乱があったゆえに、これを平定したことで『天下統一』が完成となる」
ただ、その九戸政実の乱よりも大きな勢力であった小田原の北条家が降伏した意味の方が大きく、現世では「小田原征伐によって実質は天下統一が成し遂げられた」と理解されていると説明したのでした。
清正「要は、関白就任によっていろいろなことができるようになったということでの。現世の学生が耳にすることがある太閤検地や、刀狩・兵農分離などの秀吉さまがおこなった政策は全て関白に就任した後のものじゃ」
ちなみに、征夷大将軍は武士が与えられる最高位の役職。鎌倉時代から天下人は実質上この役職に任じられることだとされてきました。
ただし、征夷大将軍に就くには源氏の血統であるなど条件があり、秀吉はこれに当てはまらなかったため関白就任を使ったと言われています。
(葉月智世)
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