CBC web | 中部日本放送株式会社 / CBCテレビ / CBCラジオ

MENU

信長の指摘に加藤清正が焦る…「山崎の戦い」の謎

信長の指摘に加藤清正が焦る…「山崎の戦い」の謎

CBCラジオ『伝令!武将が現世でラジオを始めたようです!』は、400年の時を経て現代に蘇った名古屋にゆかりの武将たちと足軽集団・名古屋おもてなし武将隊(R)が、日本の歴史を楽しく紹介する歴史バラエティ番組です。6月13日の放送では織田信長・加藤清正・陣笠隊の足軽・踏舞の3名が出演し、羽柴秀吉と明智光秀による「山崎の戦い」について取り上げました。

関連リンク

この記事をradiko(ラジコ)で聴く

山崎の戦いが起こった日

「この日何の日?」コーナーは、先週土曜日から今日までの1週間の日付で過去に起こった歴史上の出来事・記念日を解説。取り上げたのは、1582年6月13日に起こった「山崎の戦い」について。

加藤清正「この戦いが起こったきっかけなんじゃけども、ここにおわす織田信長様が6月2日に本能寺で討たれた後のことで、簡単に言うとかたき討ちの戦いである」

本能寺の変が起こった時、清正と清正の主君・羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は中国地方の備中高松城で毛利氏と戦っていました。その最中に「本能寺の変」が起こったことを知ります。

清正「本能寺は京にあったゆえに、急いで戻らねばならぬ。それが中国大返しで、その後戻ってからの戦いというわけじゃ」

織田信長「ほう、儂の一大事を知って大返しをしたんじゃな、6日で。お前の親分(豊臣秀吉)が怪しいな」

どうも、信長が秀吉を怪しむにはそれなりの理由があるようです。

兵糧が備蓄されていた理由は?

通常、戦には大量の兵糧(食料)が必要です。その兵糧は、普通に考えれば最前線である備中高松城近くに最も多く準備しておかねば、戦う武士たちを養うことはできません。

信長「本来は、兵たちが腹を空かせるからの。兵糧を補給しながら進軍するから移動に時間がかかるわけじゃ。なぜか中国地方に攻めていったにもかかわらず、京へと戻る道中の城には大量の兵糧が備蓄されておった。それで時間短縮となったわけじゃ。

なぜじゃ?なぜ最前線(備中高松城)に向かっていたはずなのに、兵糧を道中の城に置いていったんじゃ?怪しいの」

清正「たまたまそういうことはあったかもしれんが、拙者は秀吉様から『明智光秀様が単独行動で謀反をなされた』と聞いて…」

清正の言葉を聞いた信長は「ほほう?(笑)」と怪しむばかり。

真相はやはり闇の中

「別に儂は『(秀吉が)明智光秀と共謀しておった』とは一言も言っておらんが?」と追い打ちをかける信長。

清正「そもそも、備中高松城に信長様に命じられて援軍として来ようとしておったのが明智光秀殿でござる。その報を聞いておったからきっと兵糧を備蓄していたんじゃないかと…すみません、拙者にはわかりかねます」

信長「お主、逃げたな(笑)」

真相は闇の中ですが、中国地方から最短で戻ってきた豊臣秀吉は、明智光秀と京と大坂の間にある山崎で激突。結果は現世でも知られている通り、秀吉が勝利。

信長がもうひとつ疑問に思っているのが、明智光秀の動向です。

信長「秀吉が戻ってくるまで6日間あったのに、なぜ光秀はもっといい場所に布陣しなかったんかの。あんな京都の入り口近く(山崎)で待ち合せのようなことをしていたのがおかしいんじゃ」

秀吉だけでなく、光秀も怪しいと睨む信長は「この件は改めて調べ直してみないとの」と納得いかない様子で締めくくりました。

清正も秀吉の部下として帯同していたものの、真相は未だに分からず。様々な書状などで研究が進んだ今でも、はっきりとした真相はわかっていませんが、現時点での研究では「光秀が政治的立場等の理由で単独で起こした」という説が有力です。
(葉月智世)
 

この記事の画像を見る

オススメ関連コンテンツ

PAGE TOP