“決断“で失われた多くの命 重い教訓を被災地で学ぶ教師たち

“決断“で失われた多くの命 重い教訓を被災地で学ぶ教師たち

2011年3月、多くの命が失われた東日本大震災。教師の決断によって救われた命、失われた命がありました。そこで宮城教育大学が「3.11被災地視察研修」を開催。多くの命が失われた東日本大震災の教訓を学ぶその研修会に、全国11都道府県の小学校から高校までの教員23人が参加しました。

実践につながる教育が生んだ、“釜石の奇跡”

CBCテレビ:画像 『チャント!』

岩手県釜石市では、地震直後に中学生が小学生の手をひいて避難し、児童・生徒およそ570人が助かりました。あの日、小学生の手を引いて逃げた川崎杏樹(かわさき・あき)さん(25歳)は、この地区で語り部として働いています。川崎さんは、「子どもたちが起こした奇跡」として捉えられがちな震災時の避難は、教師の決断と、普段の教育が大きな役割を果たしていたと強く話します。

地震が起きて、点呼を取るため待っていた子どもたちに「とにかく逃げろ」と叫んだのが当時の教師たちでした。加えて釜石東中学校では、普段から津波避難の教育に力を入れていました。

川崎さんは「実際に避難場所まで逃げることを繰り返しやっていたので、生徒一人一人がどの道を通ってどこまで逃げればいいか、皆おなじように理解していたのが大きかった」と語ります。

「津波からは自分一人でも逃げろ」という、古くからこの地方に伝わる「津波てんでんこ」の実践が、そこにはありました

研修を受けた教諭も「子どもたちが主導でやっていたから、助かったんだと学んだ」と言いつつも、「(自分たちの避難訓練は)本当の避難訓練になっていないんじゃないか。ただの避難訓練をこなしているだけ(になってしまっているのではないか)」と悩みを吐露していました。

教員が率先して判断し、行動しないと命は守れない

CBCテレビ:画像 『チャント!』

つぎに向かったのは宮城県南三陸町にある、91人が助かった戸倉小学校。当時校長だった麻生川敦さんはあの日、地震直後に高台への避難を決断しました。校舎の屋上に逃げる選択をしていたら、助からなかったと言います。研修を受けた教員たちは現地で、実際に走って高台に登り、話を聞きました。

麻生川さん「悠長なことしていると死ぬかもしれないと思ったので、とにかく外へ出た順番に走って上れと言って、全員で必死に走って高台まで逃げた。」

そして、「ある後悔」についても話しました。「一緒に避難をした1人の先生から『校長先生、家に帰っていいですか。』と言われた。(その先生は)ニコニコ笑いながら、手を振って(坂を)下りていきました。その先生の生きている姿を見たのは、それが最後になりました。」なんであの時、前に立って止めなかったんだろうか、手を引っ張ってでもダメだって言わなくちゃいけなかったのにと、今も迷いと後悔が心に重く残っています。

麻生川さん「知識を持っているだけではダメなんです。それを判断して行動できるところまで、必ず行動できるところまで高めないと人の命は守れない。」

いざという時、子どもたちの命に責任を負う教員の責任

CBCテレビ:画像 『チャント!』

そして全国の学校関係者にとって最も重い教訓となっている、石巻市立大川小学校に向かいます。あの日、学校にいた児童78人中74人、教職員11人中10人が津波で犠牲になった場所です。避難の際、学校の裏山ではなく橋のたもとに向かう決断をした結果、途中で全員津波にのまれたといいます。

教師の決断で多くの命が失われた現実。当時6年生だった娘のみずほさんを亡くした、佐藤敏郎さんに話を聞きました。

佐藤さん「先生も子どもも必死だったと思う。子どもを救いたくない先生はいない。でも事実として救えなかった命になった。だから、なぜか考えないといけない」

教員たちは多くの命が失われた現場を目の当たりにして、いざという時の子どもたちの命に責任を負う教師の決断や選択は、絶対に間違えられない、その思いが改めて強くなります。

小学校教諭「自分の学校の子どもたちを想像するといたたまれない。大川小の教訓も考えて計画を立てたり想定をしていかなきゃいけない」

中学校教諭「命は大切なもの。それはわかっているんだけど、大切なものをどのように守っていくか。それを具体的に考えていかなきゃいけないという使命感や責任がより強くなった。これからです」

来たる巨大災害にどう備えるのか、大切な命をどう守るか、多くの命が失われた校舎はその事を静かに問いかけていました。
CBCテレビ「チャント!」4月13日の放送より。

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