新大関・安青錦が誕生!相撲の“力強さ”で思い出す国民栄誉賞の大横綱
ウクライナで紛争が始まって3年半、遠き離れた地からも戦禍に心を寄せてきた。そんな日本の人たちの平和への思いがますます強くなるかもしれない。大相撲の安青錦が、大関に昇進した。
18歳でウクライナから来日
安青錦新大(あおにしき・あらた)、本名はダニーロ・ヤブグシシン。ウクライナ中部の州ヴィーンヌィツャ出身である。2022年(令和4年)2月、ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、国内はいたるところで戦火に包まれた。18歳になると徴兵の義務もあり、自由に国を出ることができなくなる。ダニーロ青年が、日本の地に降り立ったのは、その2か月後のことだった。
国旗の“青”を入れた名前

もともとレスリングの選手であり、相撲も学んでいた。その経験から、日本の大相撲では安治川部屋に入門した。親方の現役時代のしこ名「安美錦(あみにしき)」に、ウクライナ国旗の青色を入れて「安青錦(あおにしき)」と名乗った。2023年(令和5年)9月場所で初土俵を踏むと、その後はまさに破竹の勢いで“出世街道”を走る。
新!新!新!の快進撃
まさに「新」という言葉の連続だった。2024年(令和6年)11月場所で新十両になると、10勝と12勝を挙げて、十両をわずか2場所で通過した。2025年(令和7年)3月場所で新入幕し11勝、5月の夏場所も7月の名古屋場所も11勝、9月の秋場所で新三役(小結)になり、立て続けに11勝の好成績を続ける。そして、新関脇で迎えた11月の九州場所で12勝を挙げて初優勝し、ついに「新」大関になった。初土俵から優勝までの14場所は歴代2位の短さ、そして、大関への昇進は、年6場所になってからは史上最速である。
九州の土俵でも技で魅せた
大関昇進を決めた九州場所は、優勝争いのトップを走る大の里と豊昇龍という両横綱と1差の3敗で、千秋楽を迎えた。本割で大関・琴櫻を珍しい「内無双」というキレ技で下し、大の里の休場によって不戦勝の豊昇龍と、優勝決定戦の土俵に上がった。ここでも「送り投げ」という、5年前に大相撲の決まり手に加えられたばかりの“新技”で、横綱を投げ飛ばして、土俵に両手をつかせた。
あの大横綱を思い出した

安青錦の相撲の魅力は、その力強さである。低い姿勢から相手の懐に入り込み、そこから繰り出す多彩な技の数々。「内無双」も「送り投げ」もなかなかお目にかかれない珍しい技である。その背景にあるものは、レスリングで鍛え、それを相撲でも活かす体幹の強さだろう。日本相撲協会によるプロフィールによると、身長は182センチと、巨漢も多い相撲界では決して大きくはない。しかし、その体はまるで“鋼(はがね)”のような頑強さだ。力強さにスピードも加わる。半世紀以上も大相撲を見てきたが、通算31回の優勝を誇る横綱の故・千代の富士を、ふと思い出した。鍛え上げた筋肉、豪快でスピーディーな取り口だった。昭和の時代を締めくくる大横綱で、国民栄誉賞にも輝いた。
クールな笑顔も人気に
もうひとつ、安青錦の魅力を挙げるならば、その表情のクールさだろうか。土俵の上では、ほとんど表情を変えない。初優勝をしてのインタビュー取材に、ようやく21歳の青年らしい笑顔を見せたが、それも決して破顔一笑ではない、どこか奥ゆかしい微笑だった。そこには、本人も語っていたように「まだもうひとつ上(横綱)」があるという、厳しい心構えがあるのだろう。遠いウクライナからやってきた、まさに“相撲道”の求道者である。
安青錦の好きな言葉、座右の銘は「ありがとうございます」だそうだ。何とシンプルで、何と謙虚な言葉なのだろうか。新大関・安青錦、千代の富士のように、そのまま相撲界の頂点へ駆け上がる予感がする。
【東西南北論説風(647) by CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】



