つボイノリオ、あのビューティー・ペアと対戦した過去が?
11月24日放送のCBCラジオ『つボイノリオの聞けば聞くほど』では、かつてつボイが所属していた芸能事務所ヤングジャパンの同窓会が実施されたことにちなみ、「ヤングジャパン同窓会・勝手に2次会」と題してその思い出を語りました。今回は事務所の創世記からスタッフとして仕事をしてきた大友淑代さん、そしてつボイノリオ担当マネージャーだった新郷茂さんを招き、当時の様子や所属のアーティストたちの逸話を尋ねます。日本のフォークソングの黎明期や隆盛期の興味深い話が盛りだくさんです。聞き手はつボイノリオと小高直子アナウンサーです。
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株式会社ヤングジャパングループは、アリス、バンバン、海援隊などフォーク系歌手が多く在籍した芸能事務所です。
1971年にアリスの前身ロック・キャンディーズのマネージャーだった細川健が設立しました。ヤングジャパンは、現在モーニング娘。などを抱えるアップフロントグループの前身です。
71年1月にヤングジャパンに入った新郷さん、その後海援隊の担当などを経て、77年頃マネージャーとしてつボイを担当しました。他にもリンドン、バンバンなども担当しています。
当時、新郷さんは25歳前後、つボイは30手前でした。
新郷さんから見たつボイノリオは、どんなタレントだったのでしょうか?
新郷「つボイ先生だけじゃないけど、みんな自分の世界があって、当時から完成されていた。だから僕らが引っ張っていくというより、アーティストとして確立されているから何も心配することはなかった」
あのビューティ・ペアと対戦
小高「今でもつボイさんはスタッフとよく話をしていて、プライベートの話もする。若干、ラジオでネタにするときがある(笑)」
新郷「弱みを見せるとダメです。何回も言われます(苦笑)」
つボイ「当時は遊び盛りです。音楽以外の話はいくらでもある。ある意味面白かった時代です」
大友「みんな朝にサーフィンとか行って、そのまんまで会社に来るんです(笑)。びっくりです」
他にもつボイが新郷さんでタッグを組んで、人気絶頂の女性タッグ「ビューティ・ペア」とニッポン放送のスタジオでプロレスをしたなど、逸話には事欠かなかったようです。
武田鉄矢の謎
そしてコーナーBGMは海援隊の「贈る言葉」に。
海援隊は74年に「母に捧げるバラード」がヒットして紅白歌合戦に出場。
しかしそれから全くヒットに恵まれず、76年12月、ドン底のときにヤングジャパンに移りました。その時にマネージメントを担当したのが新郷さんです。
その後海援隊は77年は「あんたが大将」が大ヒット。79年10月には武田鉄矢さんが『3年B組金八先生』に出演し、空前の金八ブームを起こしました。
新郷「当時武田さんは歯がボロボロでした。でも売れて、どういうわけか歯がきれいになった(笑)」
つボイ「実費で直したかもしれない。保険だとあそこまできれいにならない(笑)」
池に放り込まれた思い出
そんな海援隊の思い出がリスナーから寄せられました。
「現在の岐阜朝日大学、当時の岐阜歯科大学に海援隊が来て、大学の玄関先、トラックの荷台のステージで歌謡ショーがありました。その司会がつボイノリオさんでした。
恒例の行事として歌い終わると当時池があって、歌い手が学生に担がれて池に放りこまれる。海援隊の鉄矢さんに続き、司会のつボイさんも投げ込まれました」(Aさん)
つボイ「お祭りとしては面白いけれど、シャレがきかない。だって僕、投げ込まれる用の衣装じゃないから。それ着て電車に乗ってずぶ濡れのまま帰りましたよ。えらい困った(笑)」
この後の放送でも、当時の思い出が次から次へと蘇ってきたようです。
(みず)
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