山中に眠る石造りの「旧長野隧道」 三重を支えてきた“伊賀街道4世代の道”とは

2023年11月28日(火)放送
山中に眠る石造りの「旧長野隧道」 三重を支えてきた“伊賀街道4世代の道”とは

ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は全国800か所以上の道を巡ってきた道マニア歴18年の石井あつこさんが、三重県伊賀市にある“時代の流れと共に変化していった伊賀街道4世代の道”を巡ります。※安全対策をしてロケをしています。廃道は危険ですのでむやみに立ち入らないでください。

最難所「長野峠」を越える江戸時代の「伊賀街道」

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

石井さんと一緒に旅をするのは、番組開始当初から撮影を担当している男性カメラマン。

(道マニア・石井あつこさん)
「“伊賀街道”の長野峠に眠る、旧旧旧道・旧旧道・旧道・現道と4世代の道を巡って、廃道となった部分を余すところなく紹介したい」

江戸時代、伊賀市と津市をつなぐ重要なルートとして使われていた「伊賀街道」。その最難所と呼ばれた「長野峠」には、江戸・明治・昭和にそれぞれ標高が違う場所に造られた道があり、現在は廃道になっているそう。

2人はまず、標高が一番高い場所にある、江戸時代に使われていた廃道を目指します。

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

(道マニア・石井あつこさん)
「峠越えは人や馬が通れればいいという前提なので、どんな急な山道でも戦国時代から江戸時代はそれでよかった」

険しい峠道を歩くこと30分。到着した峠は切通しになっていて、わずかに街道の面影が残っています。峠の標高は530m。標高180mの伊賀上野城と長野峠の標高差は350mもあり、伊賀市から津市を行き来するには、この標高差を超える必要がありました。

(カメラマン)
「大変だったんだな、昔の人は」

旧旧道に眠る明治時代の「旧長野隧道」

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

(道マニア・石井あつこさん)
「これから2世代前の旧旧道、明治の隧道に行きたい」

2人は、長野峠より70mほど下に造られた明治時代の廃道へ向かいます。

(道マニア・石井あつこさん)
「約4.2mの幅で新道開削をしたそうなので、人や荷馬車が通るには十分な幅。昭和14年までこのルートが使われ、最終盤には車も通っていた」

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

山道の奥に眠るのは、明治18年(1885年)竣工、長さ218mの「旧長野隧道」。昔はトンネルを掘る技術力が低いため、より短い距離で済ませる必要があり、高い位置に隧道が造られたのだとか。

(道マニア・石井あつこさん)
「明治14年から4年7か月の月日をかけて、ノミとツルハシだけで造った花崗岩(かこうがん)の美しい石造りの隧道」

内部は崩落しているため通り抜けることはできませんが、「太陽のようなデザインの坑口を楽しむことができる」と石井さん。

かつては多くの人に使われていましたが、車社会の発達により、幅や高さがないこの隧道は廃止に。地元の方の話によると、「ドイツの技術者が来て石組みを造った」とのことです。

旧道に眠る「長野隧道」と、国道163号の現役「新長野トンネル」

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

続いては、新たな隧道が造られた旧道へ。今は廃道になっていますが、2車線ある幅の広い道と、その奥には昭和14年(1939年)竣工、長さ300mの「長野隧道」が眠っています。

(道マニア・石井あつこさん)
「車道として開通したが、幅員が5.5mしかなかった」

「旧長野隧道」の約30m下にコンクリート製の「長野隧道」が造られましたが、道幅が狭く、大型車のすれ違いが困難なため廃止になったそう。

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

そして最後は、現在も使われている国道163号の「新長野トンネル」へ。平成時代に造られた現役の「新長野トンネル」は、「長野隧道」の100mほど下にあり、幅員7m、長さは約2kmもあります。

(道マニア・石井あつこさん)
「普段何気なく通る現役の道も、かつての道の歴史を辿ると、いかに便利な道を享受しているか身に染みて分かる」

11月28日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より

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