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板東英二さん逝く~ドラゴンズ投手であり人気タレントだった不世出の魅力

板東英二さん逝く~ドラゴンズ投手であり人気タレントだった不世出の魅力
板東英二さん(C)CBCテレビ

球団創設90周年を迎えた中日ドラゴンズだが、現役選手時代に開幕投手を務め、その後に俳優として日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞を取る、そんなOB選手は、おそらく二度と出ることはないだろう。板東英二さんが亡くなった。享年86。多くのファンが別れを惜しむ。

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甲子園で輝いたエース

板東英二さんは、徳島商業高校時代の夏の甲子園大会で延長18回を投げるなど、輝かしい球歴と共に、1959年(昭和34年)にドラゴンズに入団した。1年目から1軍で活躍、11年間の短い現役生活だったが、通算77勝を挙げた。入団時の背番号は「30」だったが、3年目に背負った「14」の印象が強い。

球団史上最年少の開幕投手

その背番号「14」を背負った1961年(昭和36年)シーズンには、開幕投手に抜擢された。2016年(平成28年)に実施された中日ドラゴンズ検定1級で、こんな出題があった。

「1961(昭和36)年4月8日、球団史上最年少開幕投手を務めたのは誰?」

4つの中から正答を選ぶもので、選択肢には権藤博さんらが挙がっていたが「板東英二」が正解である。2018年(平成30年)に小笠原慎之介投手(現・讀賣ジャイアンツ)によって更新されるまで球団記録だった。

完全試合にも手が届いた?

実はドラゴンズ検定1級には、もう1問、板東投手が登場する。

「1960(昭和35)年8月2日の巨人戦(中日球場)で、板東英二は完全試合をあと3人で逃したが、その理由は?」

正解にはなかなか味がある。
「平凡な飛球だったが右翼手が守備位置を変更していた」

ドラゴンズを愛する多くの竜党が挑戦した検定問題に度々登場したことからも、板東さんのドラゴンズでの活躍ぶりがうかがえる。

解説者としてタレントとして

板東さんの才能は、投手を現役引退した後の“新たなマウンド”でも発揮された。中部日本放送(CBC)の野球解説者になり、さらにCBCラジオ午後の生番組『ばつぐんジョッキー』のパーソナリティを務めることになった。くしくも1974年(昭和49年)、ドラゴンズは与那嶺要監督の下、ジャイアンツの10連覇を阻止して20年ぶりのリーグ優勝を果たす。板東さんが歌った応援歌『燃えよドラゴンズ!』は、名古屋を中心に大ヒットした。今も歌い継がれる名歌である。

名物だったラジオ“竜虎対決”

ラジオ『ばつぐんジョッキー』が人気だったのは、月曜日を担当する板東さんに対して、阪神タイガースファンのタレント、上岡龍太郎が木曜日を担当し、曜日を越えて、ドラゴンズとタイガースの“応援合戦”をくり広げたことだろう。

当時はタイムフリーのradiko(ラジコ)などなく、番組を聴き逃すまいと小型のトランジスタラジオを持ち歩いていた記憶がある。2人による軽妙な“竜虎対決”は楽しかった。タレントとして百戦錬磨の上岡さん相手に、元プロ野球選手の板東さんが堂々と対峙するのだから、その話術の魅力は飛びぬけていた。

多彩な才能の“竜戦士”

板東さんの活躍はますます幅広くなっていった。バラエティー番組へのレギュラー出演、ドラマや映画での役者業、そのどれもがプロとしての見事な仕事ぶりだった。映画『あ・うん』では高倉健さんと共演し、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞した。そんな板東さんが、かつてはドラゴンズの投手だったことを知らない人も多かっただろう。ただ、ふとした時に顔をのぞかせる“野球選手の空気”は、我々ドラゴンズファンにとって、愛すべきものだった。その意味では、“不世出の竜戦士”だった。

星野仙一さんが逝き、高木守道さん(※「高」は「はしごだか」)が逝き、90年の球団史を築いた多くの選手が旅立っていった。そして2026年(令和8年)7月、板東さんの旅立ち。今年のお盆は、ドラゴンズブルーの空の上が、さぞやにぎやかになることだろう。
                          
  
【CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】

※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲  愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)『屈辱と萌芽 立浪和義の143試合』(東京ニュース通信社刊)ほか。

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