織田信長・豊臣秀吉・徳川家康…時の権力者たちが愛した狩野派とは?

CBCラジオ『伝令!武将が現世でラジオを始めたようです!』は、400年の時を経て現代に蘇った名古屋にゆかりの武将たちと足軽集団・名古屋おもてなし武将隊(R)が、日本の歴史を楽しく紹介する歴史バラエティ番組です。10月10日放送の前田利家・前田慶次・陣笠隊の足軽・踊舞の3名が出演し、安土桃山から江戸初期にかけて活躍した絵師の死を取り上げました。
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「この日何の日?」コーナーは、先週土曜日から今日までの1週間の日付で過去に起こった歴史上の出来事・記念日を解説。いくつかある話題の中で取り上げたのは、1559年10月6日に狩野元信が、1674年10月7日に狩野探幽が死去した件について。
前田慶次「狩野派というのは、現世でわかりやすく言うとすればの…、スタジオジブリとも言えばいいじゃろうか。当時の絵師というのは、今のようなアニメーションに代わるような者たちである」
前田利家「確かにわかりやすいの。現世でも名古屋城でおもてなししておると、『ジブリパークに行ってきた』という者たちがおるからの」
狩野派というのは、安土桃山時代に台頭したまさに日本一の絵師集団でした。他にも長谷川等伯(長谷川派)もいましたが、当時最高の絵師として名前が挙がるとしたら、やはり狩野派が筆頭だったと言えます。
時の権力者の御用達
狩野派の最初と言えるのは室町時代にさかのぼり、狩野正信あたりです。
慶次「約400年に渡って日本の絵画界に非常に大きな影響を持った絵師集団。そして時の権力者たちの御用達でもあったため、多く描き残されておるというわけじゃ」
例えば、足利将軍家・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康など、その時代の権力者に好まれ、こぞって注文していました。
もちろん、戦乱など焼け残ってしまったものも多くありますが、現在でもいくつかの襖絵や屏風などは残っており、展覧会などで公開されています。
また、狩野派で一番知られている狩野永徳の作品は、教科書などにも載っているため、みたことがある人も多いはずです。
名古屋城にも残る狩野派作品
名古屋おもてなし武将隊が拠点としている名古屋城にも、狩野派の作品は残っています。
本丸御殿には障壁画があり、狩野派が手掛けたものです。
慶次「是非に観てもらいたいものである。さらに奥に行けば水墨画があっての、障壁画の中でも最後に水墨画を置いておる。これは中国の絵の技法と大和絵を組み合わせた絵となっておるでな、そういう見方を加えれば、また本丸御殿を楽しめるのではないかの」
利家「まことに美しい絵なんじゃけども。当時は絵を描けるものも限られておったんじゃ。画材も当然高価だったゆえに、絵の具はもちろん紙一つでも高いからの。狩野派はどんどん評判が挙がって日本一の絵師集団となっただけに、豪胆で色彩鮮やかな絵が大人気だったというわけじゃ」
例えば教科書などによく載っているのが「洛中洛外図」です。京都の市中(洛中)と郊外(洛外)の景観や人々の風俗を描いた屏風絵にしたもので、様々な絵師が手掛けたと言われていますが、もっとも有名なものは狩野永徳が描いたもの。
これは、織田信長が上杉謙信に贈ったとされる戦国時代(1565年頃)の最高傑作で、約2,500人もの人々が活き活きと描かれています(米沢市上杉博物館が所蔵)。
他にもいくつか有名なものはありますが、それぞれ少しずつ違い、絵師の特長などが出ているのがまた面白いところ。
特に前述の狩野永徳の作品は歴史的にも非常に重要な作品とされ、多くの研究にも影響を与えたものです。戦国時代を美術から眺めてみるのもまた、面白いかもしれません。
(葉月智世)
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