中日OB・吉見一起が回想。落合博満監督が「じゃあ取っとけ」と言った理由
元中日ドラゴンズ投手の吉見一起さんが、9月26日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』に出演し、トヨタ自動車時代にドラフトでドラゴンズから指名された真相を話しました。パーソナリティの若狭敬一アナウンサーが初めて吉見さんと会ったのがこのドラフトの時とのことです。
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2003年に高校を卒業してトヨタ自動車へ入社した吉見さん。都市対抗野球大会で投げて全国に知られるようになり、社会人3年目の2005年はドラフトの目玉的存在でした。
この頃、プロの誘いはあったのでしょうか?
2004年の都市対抗でホンダ相手に6回無失点と好投していたところ、この年のドラフトが終わった後にかなりの数の話が来たそうです。
吉見「当時まだ希望枠っていうのがあったんです。逆指名1位で来てくれということでした」
ドラフトでは1993年から大学生・社会人選手を対象に逆指名制度が導入されていました。この制度で球団が取れるのは1球団2名まで。
なおこの制度は「自由獲得枠制度」、「希望入団枠制度」と名前が変わり、2006年限りで廃止になりました。
手術がバレる
吉見「でもその冬に肘を怪我したんですよ。で、手術したのがバレて」
2004年、多くの球団から話を貰った吉見さんですが、この年のクリスマス頃、骨を削るほどの大手術をしたそうです。
特に隠そうと思っていたわけではなかったそうですが、一社会人投手が手術について発表することもありません。
翌2005年になるとドラフトのために全球団が動き出します。
吉見「シーズンが始まる中で、僕が投げられないってわかってくるじゃないですか」
術後2~3カ月は投げられず、6月にある都市対抗の予選にギリギリ間に合うぐらい。しかし調子が上がらず出場せず。どの球団も吉見さんから撤退していったそうです。
やっと流られるようになったのは、都市対抗の後、秋に行なわれる社会人野球日本選手権でのこと。
吉見「結果的にドラゴンズさんから、なぜかわからないけど、1位でお話いただきました」
オファーの真相
吉見さんは引退後、ドラフトの舞台裏を米村明スカウトから聞いたそうです。
吉見「落合さんが取っとけって言ったらしいですね」
落合博満監督(当時)へは「社会人3年目でピッチングはいいが、怪我明けで他球団が引いている投手がいて、来年には完治しているので12球団争奪戦の可能性がある」と伝えられたとか。
吉見「じゃあ先に取っとけって言ったのが落合さんだったらしいです。落合さんのひと言で僕は入れたらしいです。なんで怪我してるのに1位なんだろう?と思ってたんですよ」
2位じゃダメなんです
吉見「僕は1位で行くために高校の時にトヨタを選んでるんですよ」
2005年のドラフトで1位でなければ、翌年もトヨタ自動車に残るつもりだったそうです。2位、3位ではプロに行くつもりがなかったとか。
高校生の時、親と教師との進路相談では、高校生の下位指名で2000万~3000万円の契約金なら、その4~5倍の1億を選んだ方がいいのではないかとの結論になったそう。
吉見「そのためには、力をつけるために社会人に行けって言われたんですよ」
だからこそ落合さんの鶴の一声でドラゴンズへ行くと決めたそうです。
吉見「当時のピッチングスタッフがすごく潤ってたので即戦力がいらなかったらしいんですよ。だから運とタイミングが良かったんです」
若狭との出会い
2005年のドラフトでは、高校生はいまお馴染みの「第一巡選択希望選手」でくじを引くパターン。社会人から「希望入団枠」で入る選手は会見で表明する形でした。
若狭「実は吉見さんが、ドラフト希望枠を表明する会見場に向かう道中、自転車で移動していた時にばったり合ったメガネのアナウンサーが私なんです」
これが初めて若狭と吉見さんが出会った瞬間です。
吉見「ベンチに座って話をしたことを未だに覚えてます」
現在トヨタ自動車硬式野球部のテクニカルアドバイザーの吉見さん。トヨタに行く度にそのベンチが見えるとか。
吉見「ここで若狭さんと話したわ、と思いながらいつもトヨタに行ってます(笑)」
ドラフトにはいろんなドラマがあるものです。
(尾関)
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