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長篠より20年以上前に鉄砲使用?村木砦の戦い

長篠より20年以上前に鉄砲使用?村木砦の戦い

CBCラジオ『伝令!武将が現世でラジオを始めたようです!』は、400年の時を経て現代に蘇った名古屋にゆかりの武将たちと足軽集団・名古屋おもてなし武将隊(R)が、日本の歴史を楽しく紹介する歴史バラエティ番組です。1月24日の放送では、前田利家・前田慶次・陣笠隊の足軽・太助の3名が出演し、「この日何の日?」コーナーで織田信長の先見の明について取り上げました。

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村木砦の戦いがあった日

「この日何の日?」コーナーは、先週土曜日から今日までの1週間の日付で過去に起こった歴史上の出来事・記念日を解説。
今回の話題は1554年1月24日に織田信長と今川義元の間で勃発した「村木砦の戦い」について。

前田慶次「儂は信長様が革新的なことを始めたのは、村木砦の戦いからじゃないかと思っておるんじゃ」

この戦いは、現在の愛知県知多郡東浦町付近で起こりました。
信長が拠点としていた那古野城(現在の名古屋市中区)から出陣したと見られますが、「地図で見る限り、そこそこ距離がある」と前田利家と慶次。

合戦自体は早朝に始まり、その日の夕方には決着が着くという短期決戦。慶次に言わせると「信長様がギリギリ勝った」という戦だったようです。

伝来して約10年で戦に使った信長

この「村木砦の戦い」は革新的な戦だったそうです。

利家「慶次、何故この戦が革新的だったんじゃ?紹介せんと」

慶次「そうなんじゃ。信長様はな、鉄砲をこの戦いですでに使っておったということなんじゃ」

諸説ありますが、日本に鉄砲が伝来したのは、1543年に種子島に漂着した外国船がもたらしたと言われています。
信長が鉄砲を使った戦いとしては、武田勝頼と織田信長・徳川家康連合軍が戦った1575年の「長篠の戦い」が有名ですが、実はそれ以前から戦で積極的に鉄砲を使っていたのです。

鉄砲を戦いに使った理由

村木砦の戦いの頃は、まだ鉄砲が伝来して10年程度しか経っておらず、鉄砲そのものも高価であり、大量生産はできていませんでした。
また火薬の原料となる硝石は当時日本にはなく、輸入に頼っていたそうで、鉄砲を戦いに利用するためには財力も必要でした。

慶次「信長様はいち早く合戦に取り入れて、これはいけるぞと。鉄砲は、当時人を撃つものではなかったんじゃ。鉄砲というと人を撃って倒すというイメージがあるかもしれんが、音で威嚇するみたいな使い方だった」

馬や武士たちを驚かせ、パニックに陥らせるなどの使い方をしていたのを、徐々に武器として殺傷能力のほうに視点が移っていったのが戦国時代。

村木砦の戦いでも、鉄砲の音が鳴り響く戦場で相手方の武士が「何か起こったのか?」と混乱している隙に、堀から砦へと味方の兵を登らせる戦術で、見事に勝利を引き寄せた信長。

一方でこの戦の代償は大きかったとも言われています。
今川方だけでなく織田方にも多数の戦死者が出ており、信長に仕える小姓にも多数の死者が出て信長が涙したとも伝わります。

ちなみに、鉄砲を撃つ役を担ったのは足軽。弓には遠くまで飛ばす鍛錬が必要だったのに対し、鉄砲は使い方さえ覚えれば簡単に扱えたそうです。

利家「太助よ、お主らのための武器だったんじゃぞ」

太助「確かに言われてみれば、そうでござりまするな」

足軽を統率するためのツールでもあった鉄砲をいち早く活用した信長が、その後大躍進したのは歴史にも残る事実。鉄砲伝来が与えたインパクトの大きさが伺えます。
(葉月智世)
 

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