CBC web | 中部日本放送株式会社 / CBCテレビ / CBCラジオ

MENU

“山さん”露口茂さんに捧ぐ~刑事ドラマの傑作『太陽にほえろ!』の記憶

“山さん”露口茂さんに捧ぐ~刑事ドラマの傑作『太陽にほえろ!』の記憶
イメージ画像:「太陽にほえろ!」(写真ACより)

またひとり、昭和の名優が逝った。露口茂(つゆぐち・しげる)さん、訃報は2025年(令和7年)9月に入ったばかりの残暑の中で届いた。この4月に老衰のため亡くなっていた。享年93。露口さんと言えば、あの刑事ドラマが真っ先に浮かぶ。『太陽にほえろ!』である。

関連リンク

【画像ギャラリー】“山さん”露口茂さんに捧ぐ~刑事ドラマの傑作『太陽にほえろ!』の記憶

『太陽にほえろ!』の魅力

『太陽にほえろ!』は、先の大阪万博が終わってしばらく後の1972年(昭和47年)から放送された刑事ドラマで、1986年(昭和61年)まで14年間続いた。警視庁七曲(ななまがり)警察署の捜査第一係を舞台に、石原裕次郎さん演じる“ボス”藤堂俊介を中心とした刑事たちの物語だった。ベテランから若手までのチームワークの良さ、とにかく街を「走る」躍動感、そして、太陽の映像をバックに流れた印象的なテーマ曲など、話題満載の人気ドラマだった。

七曲署のスゴ腕“山さん”

イメージ画像:「銃と手錠」(写真ACより)

露口さんは、このドラマで“ボス”の片腕であるベテラン刑事“山さん”山村精一役を演じた。放送が始まった当初は、この他“長さん”“ゴリさん”“殿下”“マカロニ”というメンバーだったが、その中でも“山さん”は、チームの重石(おもし)のような役柄だった。当時、露口さんは40代に入ってまもない頃だった。深い洞察力を持った物静かな敏腕刑事を、実に渋い演技で披露した。そして、そこに熱い人情をにじませていた。

コロンボにも負けない

ドラマは、毎回、刑事の誰かがストーリーの中心になる構成だったが、露口さんの“山さん”回は、ひと味違っていた。別名「落としの山さん」と呼ばれ、犯罪トリックを破ったり、アリバイを崩したり、難攻不落の犯人を落とす(自供させる)。実に頭脳派のドラマだった。容疑者と対峙する取り調べ風景だけで、ドラマ全編のほとんどの時間を占めた回もあった。同じ頃、海外ドラマではピーター・フォーク主演の『刑事コロンボ』が日本でも放送され始めていたが、“山さん”が活躍する放送回は、コロンボに負けない面白さがあった。

若手刑事役の登竜門ドラマ

イメージ画像:「警察犬」(写真ACより)

『太陽にほえろ!』では、多くの若手俳優も躍動した。“マカロニ”を演じた萩原健一さん、“ジーパン”と呼ばれた松田優作さん、この2人を筆頭に、登場と殉職を重ねながら、七曲署の歩みは続いた。“山さん”は彼らの指導役でもあった。筆者が個人的に好きだった若手刑事は、神田正輝さんが演じた“ドック”刑事。父親が医者だったため、このニックネームが付いたのだが、明るいキャラクターで、一見軽薄そうに装いながら、実は機転が利いて、容疑者に罠を仕掛けたりして、事件を解決した。時おり登場する警察犬とのチームプレーも楽しかった。“山さん”も苦笑いしながら、温かく見守っていた。

清水次郎長のライバル役

実は“山さん”を演じる前から、別のドラマで露口さんのことを知っていた。それは時代劇『清水次郎長』だった。1971年(昭和46年)5月から1年間、土曜日の夜に放送された。竹脇無我さんが演じた主人公・清水次郎長のライバルである侠客・黒駒勝蔵、この勝蔵役が露口さんだった。ライバルというよりは、最大の敵だった。そのニヒルで凄みのある演技は、今も脳裏に焼きついている。敵にもかかわらず、どこか次郎長を認めている、そんな深みを見事に演じ切った。

「昭和100年」となった2025年も、長嶋茂雄さんはじめ、昭和の歴史を彩った多くの著名人が天に昇った。天国と地獄とがあるならば、天国には事件を犯すような人はいないはず。“山さん”は取り調べで“落とす”相手もなく、目を細めて煙草をくゆらせているのかもしれない。まるでドラマの一場面のように。

【東西南北論説風(623)  by CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】

※『北辻利寿のニッポン記憶遺産』
昭和、平成、令和と時代が移りゆく中で、姿を消したもの、数が少なくなったもの、形を変えたもの、でも、心に留めておきたいものを、独自の視点で「ニッポン記憶遺産」として紹介するコラムです。

この記事の画像を見る

オススメ関連コンテンツ

PAGE TOP