サザンオールスターズの歌と共に思いを馳せる、戦後80年を迎えたニッポンの今

戦後80年の夏が、猛烈な残暑を置き去りにしたまま去ろうとしている。桑田佳祐さんは、かつて「平和への祈りは、サザンオールスターズが今後も発信していくメッセージ」と語った。その言葉通り、楽曲には戦争や平和を歌ったものが数多くある。そんな中から、戦後80年の夏にあらためて聴いて、心に残った歌を選んでみた。
『平和の鐘が鳴る』
真っ先に浮かんだのは『平和の鐘が鳴る』である。2015年(平成27年)に発売されたアルバム『葡萄』に収録されている。戦争の傷跡から立ち直る日本と人々、そして命の大切さを歌ったものだ。その年の全国ツアー『おいしい葡萄の旅』を、真夏の沖縄の地で観て、この曲を聴いた時の記憶は今も鮮明だ。
「過ちは二度と繰り返さんと、堅く誓ったあの夏の日」
桑田さんが力強く歌い上げる背景のスクリーンには、サトウキビ畑と青空、さらに、終戦直後の荒れ果てた日本の風景に加えて、それでも底抜けに明るい子どもたちの沢山の笑顔の映像が流れた。
「喪失(うし)なったものを希望に替えて、再び歩き始めた日本(くに)」
沖縄で出合った感動を思い出し、あらためて歌詞を噛みしめて、歴史への思いを馳せる。
『平和の琉歌』

平和をテーマにして、その沖縄の姿を真正面から歌ったのが『平和の琉歌』である。1996年(平成8年)に沖縄県宜野湾市でのライブで初めて披露された。
「この国が平和だと誰が決めたの?人の涙も渇かぬうちに」
冒頭の歌い出しから、まさにストレートである。そして、終戦を前に大激戦となって多くの命が犠牲になった沖縄戦、米国による統治、本土への復帰、そして、今なお国内の米軍施設の7割以上がある沖縄県の現実、そんな思いを桑田さんは「琉歌」という、沖縄独特の叙情歌に込めた。重く切ない歌である。
「アメリカの傘の下 夢も見ました 民(たみ)を見捨てた戦争(いくさ)の果てに」
沖縄における基地問題は、戦後80年を迎えても変わらずに続いている。
『流れる雲を追いかけて』
原由子さんがソロで歌う『流れる雲を追いかけて』は、サザンがデビューして4年後の1982年(昭和57年)7月に発表されたアルバム『NUDE MAN』に収録されている。アンニュイなメロディーラインに合わせて、戦争に向かっていく国の空気感、そして恋人や家族を思う人情が、大陸の満州を舞台に歌われている。アルバムの中でも異色作だろう。「異国の地」「大連」「ハルピン」などの単語と共に、「進軍ラッパがプププププ」という歌詞が、やけに印象深い。
『ROCK AND ROLL HERO』
直接、戦争をテーマに歌ったものではない。ただ、戦後の日本がたどった道には欠かせないアメリカ合衆国という国との関係を見事に風刺したものが、桑田佳祐さんのソロ曲『ROCK AND ROLL HERO』である。2002年(平成14年)に発表された。
「米国(アメリカ)は僕のHero 我が日本人(ほう)は従順(ウブ)なPeople」
戦後80年を迎えた夏も、トランプ政権とのシビアな関税交渉など、日米の関係は一筋縄にはいかない。摩擦も多い。あらためてこの曲を聴くと、桑田さんの鋭い観察眼とセンスに驚き、感慨を新たにする。これぞ反骨のロックンロール魂だろう。
『史上最恐のモンスター』
サザンの最新の作品にも、たった1行なのだが、聴く者の心を刺す言葉がある。2025年(令和7年)3月に発表された16作目のオリジナルアルバム『THANK YOU SO MUCH』に収録されている『史上最恐のモンスター』。地球温暖化を“モンスター”に例えて、環境問題を憂うという、今の社会を刺す歌なのだが、その中に「ウクライナ(Ukraine)の春は待ちぼうけ」というフレーズが登場する。ロシアがウクライナに侵攻して3年半の歳月が流れた。米国のトランプ政権が仲介しての和平交渉の行方も、まだ不透明である。“モンスター”は、戦いを仕掛ける人間でもあるのだろう。

『平和の鐘が鳴る』という歌のラストは、桑田さんが「響くのは誰の胸に」と歌い「貴方(You)」と締めくくる。戦後81年目の歩みを始めたニッポン。サザンオールスターズはどんな平和を奏でていくのだろうか。そして、私たちはこの「戦後」をいつまでも続けていかなければならない。「戦前」や「戦中」にしてはいけないとあらためて誓う晩夏である。
【東西南北論説風(618) by CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】