小笠原慎之介に復帰勝利を献上!ドラゴンズ“お人好しにもほどがある”?
このゲームは勝ってほしかった、いや、せめて先発投手を打ち込んでほしかった。井上ドラゴンズ、元・同僚の讀賣ジャイアンツ小笠原慎之介に、日本球界復帰の初星を贈ることになった。(敬称略)
愛された小笠原慎之介
小笠原慎之介は、背番号「11」を背負って、中日ドラゴンズで9年間プレーした。先発ローテーションを守るタフなピッチング、そして明るいキャラクターによって、多くのドラゴンズファンから愛される存在だった。米メジャー入りをめざした本人の希望を球団も後押しして、海外フリーエージェント(FA)の資格を取る前に、ポスティングシステムによって、ワシントン・ナショナルズへの移籍を容認した。
復帰先はジャイアンツ
名古屋のファンもエールを送り続けた。しかし思うような結果が出ず、2025年(令和7年)の1年目は主に中継ぎが多く、シーズン途中にメジャーから3Aに降格したりした。2026年もマイナーでのキャンプとなり、開幕は3Aより格下の2Aで迎えた。小笠原は米国での2年目途中で日本球界の復帰を決めたが、ドラゴンズに戻ることはなく、讀賣ジャイアンツに入団した。くしくも、日本プロ野球界に復帰後の初登板初先発が、7月19日の東京ドームでのドラゴンズ戦だった。
竜党からのブーイング
レフトスタンドのドラゴンズファンからは、何度もブーイングが起きた。スタメン発表、プレーボール、そして打席に立った時、ジャイアンツの背番号「98」を背負った小笠原を“逆声援”が包み込む。でも、それがプロの世界である。相手チームのユニホームに対して「お帰りコール」はあり得ない。まして、トレードや現役ドラフトではなく、ライデル・マルティネスと同じように“自分の決断で”、巨人というチームを選んだのだから。
変化球の多投に翻弄
しかし、小笠原はブーイングを自らへのエールに“変換”させたようだ。キレのいいカーブとチェンジアップで、竜打線を翻弄した。小笠原って、こんなに変化球を多投するピッチャーだったのだろうかと驚いた。それが米国で身につけた投球術なのかもしれないが、メジャーでもなく、3Aでもなく、帰国前は2Aにいた投手にドラゴンズがやられるわけにはいかない。まして元・同僚、まして宿敵ジャイアンツのユニホーム。しかし・・・。
またも勝負どころを逃す

大きなチャンスは5回表だった。石川昂弥がデッドボールで出塁した後、ジェイソン・ボスラーがセンターのフェンス直撃弾。1塁ベースを踏み忘れて戻ったものの、無死1、3塁となった。長く小笠原とバッテリーを組んできた木下拓哉は、内野への凡フライ。併殺打でも点が入るのに、と声が出ない。
続いては、この日8番に入っていた辻本倫太郎の打席だった。当然「代打・阿部寿樹」で勝負に出ると思った。しかし、井上一樹監督は動かず。辻本はいい当たりだったが、ファーストライナーで併殺となり無得点に終わった。その裏、ドラゴンズ先発の金丸夢斗は1点を失って、これが決勝点となった。“野球の神様”は流れをちゃんと見ているのか。小笠原は、日本復帰後の1勝目を“古巣”から手に入れた。
元・竜選手には負けたくない
ドラゴンズの監督、コーチ、そして選手たち、悔しくないのか。竜党のひとりとして、とにかく悔しい。こういう試合できちんと意地を見せるのがプロなのではないか。小笠原に6イニング、3安打に抑えられたことが怒りを通り越して、淋しくてたまらない。
せめてもの救いは、ジャイアンツが2点リードで迎えた8回裏に、さらに3点を追加して1対6となり、9回表にマルティネスが出てこなかったことだ。「勝利投手は小笠原、セーブはマルティネス」これだけは勘弁してもらいたかったし、それを避けられたことにホッとしている状況が、あまりに悲しすぎる。
球団創設90周年の記念すべきシーズンも残り50試合余り、最下位の日々が続いている。この日、元・同僚に対して見せられなかったプロとしての意地と技術を、どうか忘れずに戦ってほしいと願う。そろそろドラゴンズも“梅雨明け”しませんか?
【CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】
※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)『屈辱と萌芽 立浪和義の143試合』(東京ニュース通信社刊)ほか。











