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「岐阜」「長浜」の地名、意外な由来。

「岐阜」「長浜」の地名、意外な由来。

CBCラジオ『伝令!武将が現世でラジオを始めたようです!』は、400年の時を経て現代に蘇った名古屋にゆかりの武将たちと足軽集団・名古屋おもてなし武将隊(R)が、日本の歴史を楽しく紹介する歴史バラエティ番組です。9月12日の放送では織田信長・豊臣秀吉・陣笠隊の足軽・踊舞の3名が出演し、信長が地名を岐阜に改めた件を取り上げました。

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稲葉山から岐阜に改めた日

「この日何の日?」コーナーは、先週土曜日から今日までの1週間の日付で過去に起こった歴史上の出来事・記念日を解説。
いくつかある話題の中で取り上げたのは、1567年9月8日に織田信長が美濃・稲葉山城を攻略し地名を「岐阜」に改めた件について。

織田信長「もともとは稲葉山城と呼ばれておったが、儂が攻略し斎藤氏を滅ぼして『岐阜』に改めたことが今も岐阜県と呼ばれておる。儂が考えた名前が400年以上使われておるのは嬉しきことじゃ」

稲葉山城の一帯は「井ノ口」(井口とも言われる)と呼ばれていました。その井ノ口という言葉についても現代に名残が続いています。

豊臣秀吉「岐阜市の市章と呼ばれるいわゆる家紋のようなものでござるが、それが井ノ口の『井』を使ってござりまする」

岐阜という名前だけではなく、井ノ口という名前もまた現代に引き継がれています。

義父の由来に込めた願い

岐阜は、2つの地名から取った名前です。

信長「岐山(きざん)と曲阜(きょくふ)、ここからそれぞれ一字ずつとって岐阜。
岐山は、中国の陝西省にある山で、古代中国の理想の王朝・周の文王が、ここを拠点に天下を平定する足がかりを築いたこと。

曲阜は中国の山東省にある都市で、儒教の開祖である『孔子』 が生まれた聖地。太平の世と学問の始まりの地となるよう願いを込めて、義父と名付けて今でも使われておるというわけじゃ」

別の説では、尾張の政秀寺の禅僧・沢彦宗恩が「岐山」「岐陽」「岐阜」の3つの候補を進言し、信長が「岐阜」を選んだとも言われます。

沢彦宗恩は、信長の守り役(教育係)であり、信長の素行を諌めるため自害した平手政秀の菩提を弔うため、信長が建立した「政秀寺」の初代住職でもあります。側近として、現在で言うアドバイザー・顧問のような役割を務めていました。

意外と知られていない地名の由来たち

ここで、踊舞が面白いことを切り出します。

踊舞「何やら現世の者たちにとっては、義理の父『義父』と同じ読み方じゃそうで、信長様が義理の御父上である斎藤道三様を想って、岐阜と名付けたのではないかと思っておる者がおるようでござる(笑)」

斎藤道三は信長の正妻である濃姫の父でした。

信長「それはややこしいの(笑)。確かに儂の義理の父上は斎藤道三様にあたるけれども、それが理由ではない」

ちなみに武将がつけた地名は割と他にもあるようで、豊臣秀吉も名付けた地名があります。

秀吉「近江の長浜という場所は、もともと『今浜(いまはま)』と呼ばれておった場所で、その場所を信長様の『長』の字をいただき、長浜と名付けたんじゃ」

実は秀吉の弟もこの時、信長の一字をもらって小一郎から「秀長」に改めています。「兄弟揃って信長から字をいただいた」と持ち上げる秀吉。
信長の重臣であった明智光秀も、横山(よこやま)という地を与えられた際「福知山」へと改名しています。

有名なエピソードでは他に、千代(せんだい)を仙台にした伊達政宗、大高坂(おおたかさか)を高知にした山内一豊、満島(みつしま)を唐津にした寺沢広高などの例があるようです。現在に残っている地名も、調べてみると意外な歴史やエピソードが詰まっているのかもしれません。
(葉月智世)
 

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