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山田久志監督への誕生日プレゼント!川上憲伸が語る02年ノーノー達成の真実

山田久志監督への誕生日プレゼント!川上憲伸が語る02年ノーノー達成の真実

CBCラジオ『ドラ魂キング』、「川上憲伸、挑戦のキセキ」は、野球解説者の川上憲伸さんが、自身のプロ野球人生を「挑戦」という切り口で振り返るコーナーです。7月30日の放送では、2002年のジャイアンツ戦で達成したノーヒットノーランについて語りました。この偉業の裏には、山田久志監督の誕生日にまつわる言葉があり、そして東京六大学時代からのライバル・高橋由伸選手との対戦の歴史が刻まれていました。聞き手は宮部和裕アナウンサーです。

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山田監督のひと言が原動力に

2002年8月1日、東京ドームで行なわれた読売ジャイアンツ戦。川上さんはこの試合でノーヒットノーランを達成しました。高橋由伸選手を三振、サードへのファウルフライ、センターフライと抑えています。

実はこの試合前、川上さんは山田久志監督から思いがけない言葉をかけられていました。

「おい、憲伸。俺、誕生日迎えてから勝ってないんだよ。お祝いしてくれよ、お前の腕で」

この言葉に川上さんは「不安だった」と振り返ります。当時のドラゴンズはジャイアンツ戦で9連敗。ひとつ前の試合では松井秀喜選手がホームラン2本を打ち、「とにかく崩壊状態」だったからです。

しかし、この監督の思いが逆に川上さんの責任感に火をつけました。

「いい意味で負担が増えたというか。監督の思いもマウンドに持っていこう、みたいな」

カットボールが救った野球人生

2002年は川上さんにとって転機の年でした。

この年に習得したカットボールについて、川上さんは「カットボールがなかったら、多分もうこの年で引退してるか、クビになってたか。ちょっともうキツかったんです」と当時の苦境を明かします。

この新たな武器を得たことで、「巨人相手にも堂々と勝負できるようになった」という自信につながりました。

さらにこの年は、ジャイアンツの松井秀喜選手がメジャー挑戦を表明した最後のシーズンでもありました。

「巨人と対戦する思いというのは、今まで以上に強かった」と、特別な感情を抱いていたことを明かします。

独り立ちの実感

ノーヒットノーラン達成の試合では、明治大学の先輩である武田一浩投手が途中リリーフで登板しました。山田監督、谷繁元信捕手という新しい環境の中で、川上さんは大きな成長を感じていました。

「ガラッと環境が変わったわけではないけど、大人になったというか、『もう俺は独り立ちできるんだ』という感じの年でした。ノーヒットノーランは確かに嬉しいんですけど、それ以上に『もう大丈夫だ』という安心ができました」

2002年は、一人前の投手として自立できたという確信を得た年でした。

永遠のライバル・高橋由伸

東京六大学時代から続く高橋由伸選手との関係について、川上さんは特別な思いを語ります。

「巨人軍を代表する中心選手だったし、絶対巨人・高橋由伸を外さずには勝負はできない。常に僕の中でも意識する存在」

そんなライバルが足首の怪我や腰痛に苦しんでいた時期には、「気にしなくてもいいのに『あいつ大丈夫かな』『試合出れてるかな』と気になったりする」と、ライバルでありながら心配していたという複雑な心境も明かしました。

監督としての再会

先日行なわれた東京六大学野球100周年記念イベントで、ジャイアンツの監督を務めた高橋さんと再会した川上さん。さらに、高橋さんがジャイアンツの監督を務めていた時にグラウンドで挨拶して話した時のことも振り返りました。

「その時はすごくフラットな感じの会話でした。本当に胸の内をさらしてくれてるというか。『同級生の上原がのんきにあんなとこでランニングしてるだろ』とか(笑)」

宮部は「個人的な願いですが」と前置きして、将来への期待を語ります。選手時代は「2人だけの空間」で繰り広げた平成の名勝負。今度は監督として、それぞれがチームを率いて“令和の名勝負”を生み出してほしい。そんな選手を育てる監督同士の対決を「絶対見たい」という思いでした。

これに対し川上さんは「どうですかね」と笑いながらも、「高橋由伸は監督実績がありますし、あんなはずで終われないというところは本人もあるかもしれないし。巨人ファンの人たちももう一度、由伸の監督を見たいと思うんですよね。僕もそれを見たいなと」と応じました。
(minto)
 

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