つボイノリオ「金太の大冒険」、50年の歴史

シンガーソングライターのつボイノリオの代表作「金太の大冒険」発売から今年の8月で50年となります。6月7日には、CBCホール(名古屋市中区)にて『~金太・満50祭!!~』なるイベントを開催されました。23日放送のCBCラジオ『つボイノリオの聞けば聞くほど』では、リスナーの「金太の大冒険」にまつわる思い出、エピソードをつボイノリオと小高直子アナウンサーが紹介しました。
関連リンク
この記事をradiko(ラジコ)で聴くあの頃の小学生に教えたい
「金太の大冒険・満50周年、誠におめでとうございます。1975年リリースの時に、50年も受け継がれる曲になることは想定していたのでしょうか?」(Aさん)
「よくこの曲が50年持ちましたね」(Bさん)
「小学生の頃は、先生に叱られたり、当時の女子に冷たい目で見られた名曲『金太の大冒険』が50周年なんですね。この現実をあの頃の小学生たちに教えてあげたいです」(Cさん)
発売当時は賛否両論。民放連による要注意歌謡曲指定(放送禁止)、さらに翌年、発売元のエレックレコード倒産などを経て、なぜか小学生には浸透していきました。
名曲は理解されることが難しい?
小学生の中でも賛否両論。どんな風に浸透していったのか、Dさんのおたよりです。
「30歳の小娘です。私が小学校の頃、ふと父のCDラックの中にあった『金太の大冒険』のCDが目に留まりました。聞くと目を輝かせて、『お、聞く?』と答える父。母は『え~』と怪訝そうな声。
無邪気な小学生はダメと言われると聞きたくなるもので早速CDを再生。すると快活なメロディに緻密に組み込まれた、日常ではとても口にできない言葉たち。教室で男子が大声で叫んでいる言葉を横目でくすくす笑っている興味津々な下ワードをステキな音楽が見事に包括しております」(Dさん)
つボイ「上手ですね。このキャッチコピー、もらいたいくらいだ」
「これか!?と私の中で聞いていいものかという背徳感が走ったのを覚えています。そこから何回もリピートして家で口ずさみ、そこにのっかる父。母はあきれる。だが私の中のブームはとどまることを知らず、これは布教せねばと、ある日、この子なら打ち明けてもいいだろうと親友(女子)に『この曲知ってる?』と聞き、詳細を説明して、見事ドン引きされました」(Dさん)
つボイ「あかんやん。厳選された友達やったけど、だめだった」
「そのとき、名画を理解することも難しいように、名曲というものも理解されることが難しいとわかりました」(Dさん)
小高「上手に例えるねこの人(笑)」
「金太」が小学生の中に困難もありつつ、否応なく受け入れられていく姿が活写されています。
子から孫へ
そして、金太は三世代にわたって伝わります。
「この4月から3年生になる男の孫が『金太の大冒険』にはまってしまいました。
私が若い頃、息子もはまり喜んで聞いていた『金太の大冒険』。その息子がダウンロードして車の中で孫に聞かせたそうです。
先日、我が家に来た時も教えてくれました。『うん、おもしろい歌だよ。いつも車の中で歌っているよ』と孫が言っていました。
そこで私は一昨年イベントでもらった歌詞カードがあったので、孫にあげました。孫は、『なんで?なんでばあば持ってるの?やった、やったー』と大喜びで帰っていきました」(Eさん)
小高「その子にとっては、なんでYOASOBI知ってるの?というレベル。彼の中では新鮮」
「親子三代で金太の大冒険にはまってしまいました。学校の先生の前で歌ったらどうしよう」(Eさん)
つボイ「初期は何歌うんやと言われてましたが、今は先生も知っていますから」
金太ダッシュ
全国の小学校では、給食の時間に『金太』をかけるかどうかで、生徒と先生の間で壮絶な争いがあったようです。
「私の金太ファーストインプレッションは、小学校6年の給食の時間でした。放送部がある日『金太の大冒険』を流し、しかし途中で切れる。
そんな放送が何度もあり、放送部のクラスメイトに聞いてみると『金太ダッシュ』を教えてくれました。
『金太』はダメと言われているところから、放送に流れると、職員室から先生がダッシュして止めに来る。金太ダッシュということで、誰の放送のとき一番長く流せるかを競っているそうです。 『金太』を止めに来た先生が廊下でころんで一度だけ最後まで流れたことがありました」(Fさん)
小高「明日、金太を流すから床を磨いておけ~」
つボイ「すべって、つるっ、や」
『金太』が最後まで流れたとき、小学生たちは勝利の拍手をしたことでしょう。
(みず)
番組紹介

読んで聴く、新しい習慣。番組内容を編集した記事からラジオ番組を聴いていただける”RadiChubu”。名古屋を拠点とするCBCラジオの番組と連動した、中部地方ならではの記事を配信する情報サイトです。