視線がそこに?八神純子、アメリカから帰国直後に感じた日本とのズレ

「みずいろの雨」「パープルタウン」のヒットで知られる女性シンガーソングライターの八神純子さんが、6月8日、地元・名古屋のCBCラジオ『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』に出演しました。小堀勝啓を相手に、アメリカから帰国直後に感じた日本とのズレを明かします。
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小堀「デビューからキーが変わらないってすごいですよね」
八神「ずっと同じキーで歌っていくことは摂生しないといけないんですけど、自分のためにはすごく良かったと思います」
名古屋出身の八神さんは1978年、「思い出は美しすぎて」でデビューし、10年間の活動後、結婚を機に渡米。
2011年東日本大震災で急遽帰国、現地入りしたことから第二の音楽人生がスタートしました。
八神「約14年。第二の音楽人生の方が全然楽しいんですよ」
第一の音楽人生は事務所に所属していて待っていれば仕事が来たそうですが、自分の事務所を立ち上げることから。
仕事を取りに行くのもコンサートを主宰するのもレコーディングの予算を捻出するのも八神さん自身。レコード会社とは販売契約のみなんだとか。
八神「第二の音楽人生の方がずっと大変で、ずっと忙しいんですよ。でも充実したやりがいがある音楽人生に変わりました」
日本人初の殿堂入り
近年世界的なシティポップブームの中で、八神さんは日本のAORの女王として海外ファンも多数。
この功績が評価されて2022年、アメリカで創設された「女性ソングライターの殿堂」に日本人として初の殿堂入り。
小堀「どういう人が貰ってんのかなと思ったら、オリビア・ニュートン=ジョン、ロバータ・フラック、グロリア・エステファン。なだたる皆さんですね。そこに同列で並ぶ八神純子さん」
八神「一番びっくりしたのが私でした(笑)」
八神さんによると、アメリカでは女性のシンガーソングライターが評価されず、なかなか賞を貰えないことからできた賞だそうです。
小堀「僕もアメリカ人の知り合いに会ったら、八神純子に会ったことがあるんだぞと絶対自慢しましょう」
八神「して下さい(笑)」
リスナーの思い出
名古屋出身の八神さんには、リスナーからの思い出のおたよりが多数寄せられました。
「高校時代のクラスメイトが、中学時代にバスケットボール部に所属していました。その時の一学年先輩が八神純子さんだったと、いつも自慢しています」(Aさん)
「CBCラジオと言えば、小堀さんがやっていた夜の番組『今夜もシャララ』の後に、『コッキーポップ』が始まると八神純子さんの「思い出は美しすぎて」が流れていました」(Bさん)
『コッキーポップ』は1971~1986年に放送されていたニッポン放送のネット番組。パーソナリティは大石吾朗さんでした。
「10年ぐらい前、名古屋ブルーノートで歌を聞きました。若い頃と変わらないパワフルな歌声でした」(Cさん)
小堀の思い出
小堀も八神さんとの思い出を語りました。
名古屋での寒い野外でのこと。キーボードを弾きながら歌う八神さんに感動したそうです。
小堀「MCの時に『むちゃくちゃ寒いですよね』って言ったら、『東日本大震災の応援に行った時はこんなもんじゃなかったですよ』って。筋金入りのアーティストだなと思いました」
岩手県小岩井農場での応援ライブは声が出ないほどの寒さだったとか。
もうひとつ、小堀が感動したのは八神さんの服装。ボディラインが出る服装だったそうです。
八神「その時期はまだアメリカンな部分が残ってて、タイトな服とかはその頃平気でした」
ずいぶん前開いてますね
胸が開いている服でもアメリカではごく普通。
帰国直後、ダウンタウンの番組に出た時には、ダウンタウンのふたりの目が八神さんの胸元に行っているのが分かったそうです。
八神「トークが終わってから『ずいぶん前開いてますね』っておっしゃって。日本ではこういうのダメなんだって思いました(笑)」
小堀「ダメじゃないですよ!素敵だと思います。ぜひ今度」
八神「じゃあ、たまにはそういうの着てみたいと思います(笑)」
6月には、バンド編成でライブハウスZeppを回る全国ツアーを開催するパワフルな八神さんでした。
(尾関)
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