終戦80年目の夏、古都ウィーンに今なお残る“ヒトラーの巨大遺産”を訪れた

その姿は、今も変わらず“異様”だった。2025年(令和7年)5月は、ヨーロッパにおいて第二次世界大戦が終わって、ちょうど80年の節目となった。そんなオーストリアの首都ウィーンには、今なお歴史を物語る“不思議な”建造物が残されている。「フラクトゥルム(Flakturm)」すなわち「高射砲の塔」である。
コンクリートの巨大な塔

高さ50メートルほどあるコンクリート製の巨大な塔。一体これは何だろうか?と思ったのは、ニュース特派員としてウィーンに駐在していた30年以上前のことだった。当時はガイドブックにも地図にも載っていなかった。形は円柱のものや四角形の箱型のものがある。このフラクトゥルムは、第二次大戦中に作られた。塔の上に高射砲を備えて、敵の戦闘機を迎え撃つためである。そして、もうひとつの使用方法は、レーダーなどを備えた司令部でもあった。終戦80年を迎えた現在も、ウィーン市内には6基が残ったままである。
ヒトラーが築いた要塞
このフラクトゥルムを作ったのはドイツのナチスだった。その意味では、アドルフ・ヒトラーによって造られたとも言えようか。ヒトラーにとって、青春時代を過ごしたウィーンは、挫折を味わった町としても知られている。第二次大戦でオーストリアを併合したヒトラーは、連合国軍に対抗するために、ベルリンの建築家に命じて、人一倍思いがあるこの町に、巨大なコンクリートの要塞を築いたのだった。
あの映画も地元では不人気

オーストリアの人たちにとって、ナチスによる併合は苦々しい歴史の記憶である。そんな時代に、国を捨てて亡命していった一家を感動的に描いた映画『サウンド・オブ・ミュージック』に対して、批判的な声は根強く残る。ウィーン市も、過去の遺物であるフラクトゥルムを撤去することを考えた。しかし、終戦直後に当時のソ連軍がダイナマイトで爆破しようとしても、ひびが入っただけという頑強さで、周囲への危険を伴う破壊は断念された経緯がある。
生まれ変わった姿
6基の内、市の中心部にあるエステルハージー公園のフラクトゥルムだけは、有効活用されている。最初は内部に水族館だけがあったが、今は南国の珍しい鳥や猿なども飼育される施設に拡大された。「ハウス・デス・メーレス(Haus des Meeres)」と名づけられた。日本語では「海の家」である。海のないオーストリアだから、粋なネーミングでもある。屋上にはカフェレストランもオープンした。30年前に持ち上がった計画が実現した。壁面には、ボルダリングの足場が作られ、クライミングの練習もできる。撤去できなければ“共存”するしかないという、苦肉の策なのだろう。
庭園にたたずむ異様な塔

ウィーン最古のバロック庭園として知られるアウガルテン庭園。18世紀初頭に創業した高級磁器「アウガルテン」の工房や、ウィーン少年合唱団の練習場もある庭園の一角にも、フラクトゥルムが立っている。明るい陽射しの中、市民らがくつろぐ緑の中に存在する姿は、何とも異様でどうしても目立つ。塔の近くまでいくと、コンクリートの巨大さが圧倒的に迫ってくる。息苦しさすら覚えた。見上げると、敵を攻撃するための設備が壁に今なお残っていて、庭園の中でこの一角だけは、まだ当時の空気を醸し出しているようだ。
地球上では、今なお“戦後”となっていない紛争地域がある。アウガルテン庭園のフラクトゥルム、塔の下部の壁には、誰が書いたか大きな文字で、こう書かれていた。
「NEVER AGAIN!(二度とあってはならない!)」。
“ヒトラーの巨大遺産”と共に終戦80年目の夏を迎えたウィーンは、静かに平和への思いを伝えているようだった。
【東西南北論説風(599) by CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】