大阪「堺」の由来は“国の境界”があったから!?大阪と奈良を結ぶ日本最古の官道「竹内街道」の歴史を紐解く旅
ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、歴史の痕跡を残す“古道”を愛してやまない道マニア歴27年の荻窪圭さんが、大阪と奈良を結ぶ「竹内街道」を巡ります。
日本書紀にも記された日本最古の官道「竹内街道」とは

荻窪さんが訪れたのは、大阪府堺市。
(道マニア・荻窪圭さん)
「かつての難波と飛鳥を結ぶ、日本最古の“官道”と言われる『竹内(たけのうち)街道』を歩きたい。官道は、今でいう国道のこと。朝廷が命じて整備した道だと言われている」
現在の大阪と奈良を結び、途中「竹内」という集落を通ることから名付けられた「竹内街道」。その最大の特徴は、日本書紀にもその名が記されるほど、古来よりその存在が確認された“日本最古の官道”であること。

そんな竹内街道は、古代では“外交の道”、中世では“信仰の道”、江戸時代以降は物資を運び商業を支える“経済の道”など、時代とともにその役割を変えてきたと荻窪さんは言います。
(道マニア・荻窪圭さん)
「堺は貿易で栄えた町だった。織田信長が大量の鉄砲を買い付けに来たのも有名。その後、豊臣秀吉が竹内街道を整備して堺を商人の町として発展させた」

そんな竹内街道の歴史を辿るため、まずは堺旧港からほど近い竹内街道の起点「大小路(おおしょうじ)交差点」へ。
(道マニア・荻窪圭さん)
「大昔、海はここまで来ていた。鎌倉・室町時代の海岸線はこの辺だった」
堺市の海沿いのエリアは、大部分が人工的に造成されたもの。大小路交差点より西側は埋め立てられて広がったと言います。また、「ここが摂津の国と和泉の国の境界だった」と荻窪さん。
「竹内街道より北が摂津、南が和泉。もう少し東に進むと河内(かわち)の国の境界もあるので、3つの国の境界があった。地名の『堺』は“境目”からきた名前」と言います。
起点の大小路交差点から太子町へ

竹内街道の一部である大小路筋を東へ進むと…
(道マニア・荻窪圭さん)
「メインの大小路筋も、脇の道も真っ直ぐ。これは、秀吉が碁盤目に町を造った」

大阪を経済・物流の拠点としつつ、区画整理を進めた秀吉。碁盤目状の町割は、大阪城下の造りにも見られる流通の効率化や治安維持のための見通しのよい構造で、中でもこの大小路筋は、“商人の誇りと文化の道”と呼ばれ、道路沿いの土地は一等地として人気を博すことに。そんな堺の町は、日本経済の中心地・大阪を支える重要拠点となりました。
さらに竹内街道を進み、堺東駅の南エリアへ。
(道マニア・荻窪圭さん)
「ゆるやかなカーブは、古い道の特徴。道沿いにあるお地蔵様も、古い道ならではのもの」

途中には分岐点があり、「左 竹之内街道」と書かれた石の道標が立っています。さらに奈良方面へ進み、仁徳天皇陵を抜けて大泉緑地の近くに行くと…
(道マニア・荻窪圭さん)
「駐車場の中に『金岡神社』と書かれた石柱があって、その奥には鳥居がある。おそらくこの駐車場は、竹内街道から分かれる参道だったと思う」
金岡神社に突き当たる場所には、少し歪んだ形の交差点が。

(道マニア・荻窪圭さん)
「交差点がクランクになっている。もともと竹内街道が真っ直ぐだったところに神社を造って、道がクランクになったのかなと」
竹内街道沿いに古くから住んでいる方によると、近年になって道路にレンガの舗装が施され、竹内街道は歩きやすくなったとのこと。
また、竹内街道沿いには渡来人が多く住んでいたそう。中でも河内地域の渡来系人口は日本最大級と言われており、仏教や建築技術、学問、文化などが渡来人から伝来。結果的に竹内街道は、国家形成に重要な役割を果たしました。

竹内峠の近くに位置する大阪と奈良の境目「太子町(たいしちょう)」に入ると、「歴史的にも重要な町で、聖徳太子のお墓がある」と荻窪さん。
聖徳太子のお墓がある叡福寺をはじめ、数多くの史跡が存在する太子町。この町の竹内街道は、聖徳太子信仰の道として利用されました。

そんな歴史ある道沿いの面影と風情を継承すべく、この町では街道を灯ろうで照らす「竹内街道 灯路祭り」が催されています。
「太子町から山道を登っていくと、竹内峠を越え奈良県に入る」と荻窪さん。「流通だけでなく、信仰の道でもあり、多くの人が行き来してきた道で、おそらくこの後も続いていくだろうという、そんな道です」と言います。
CBCテレビ「道との遭遇」2025年12月9日(火)午後11時56分放送より





