都庁周辺はかつて浄水場だった!?新宿が東京の中心地へと発展した経緯とは 「玉川上水」の暗渠道から歴史の紐を解く旅

ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、川が流れていた場所の上にできた“暗渠道(あんきょみち)”をこよなく愛する道マニア歴15年の髙山英男さんが、東京都・新宿にある暗渠道から歴史を紐解きます。
江戸の人たちに飲料水を届けた命の水路「玉川上水」

髙山さんと一緒に旅をするのは、プロギャルのぱにぱにぱにぱにともちんぱさん。2人が訪れたのは、一日約270万人が訪れる世界で最も利用者が多い新宿駅(※2022年の情報)。
(道マニア・髙山英男さん)
「新宿にはかつてたくさんの川も流れていたし、上水も流れていたほど、水に縁がある街。今日は、江戸を支えた『玉川上水』の暗渠道を巡りたい」
髙山さんは、「江戸時代、玉川上水の開削を指揮したのが玉川兄弟。江戸の人たちに飲料水を届けるために、遥か43km先から掘ってきた。まさに、“命の水路”」と続けます。

1653年、人口増加による水不足を解消するため、徳川幕府の命により造られた人工水路「玉川上水」。現在の羽村市から多摩川を取水し、新宿区四谷までを結んだ、甲州街道沿いを流れる約43kmのこの人工水路は、江戸の命を支える大動脈となりました。
そんな玉川上水の当初の工事費用は6000両。現在の価値でいう6億円以上をかけましたが、完成への道のりは険しく、玉川兄弟は私財から3000両を追加したといいます。

水が地中に染み込んだり、硬い岩盤に阻まれ掘削が頓挫したりするなど、失敗を重ねながらも工事はわずか8か月で完成。多摩川の水は瞬く間に江戸市中へと広がりました。
今回は日本の近代化を支え、地下に移され暗渠となった玉川上水の痕跡をたどりつつ、東京の中心地へと発展した巨大都市・新宿の歴史を紐解きます。
玉川上水と密接な関係がある「新宿御苑」

2人はまず、新宿駅から東の四谷方面へ。
(道マニア・髙山英男さん)
「この四谷四丁目の交差点の近くにあるのが、『玉川上水水番所(みずばんしょ)跡』。羽村から水を引っ張ってきて、ここから暗渠となって市中に広がっていった」
この場所はかつての玉川上水の終着点で、水量・水質を監視する「水番人(みずばんにん)」が常駐していた水番所跡。ここから上水は暗渠となって江戸市中に広がり、生活や産業に不可欠な“命の水路”として重宝されました。

「暗渠道だったことが分かる証拠がこの裏にある」と行ってみると、現れたのは水門。
ダムや貯水池などで水が満杯になった際、余水を逃がすための排水設備「余水吐(よすいばき)」。これにより、ダムの決壊や下流の洪水を防ぐほか、水位を調整するためにも使用されています。

続いては、玉川上水の余水を流していた余水吐の痕跡を求め、四季折々の風景が楽しめる名園として名高い「新宿御苑」へ。新宿駅の東に位置し、明治以降は皇室の庭園として多くの人々に親しまれてきたこの御苑には、玉川上水のかつての面影を残しているそうで、「玉川上水は御苑の中で整備されている」と髙山さん。内部へ進み…
(道マニア・髙山英男さん)
「この『玉藻池』は、玉川上水の水を引いて造ったと言われている」
さらに、南へ進むと…
(道マニア・髙山英男さん)
「これが下(しも)の池。ここは水が湧いている。この水が御苑の外へ出て行って、渋谷川になっている。渋谷川の源で、しかも玉川上水と繋がっている」
玉川上水と密接な関係がある新宿御苑ですが、さらに新宿の街の発展にも深く関わっているそう。

(道マニア・髙山英男さん)
「新宿御苑は、新宿が発展したから御苑があるんじゃなく、御苑があったからこそ新宿が発展した。長野県の高藤(たかとう)から来ているお侍さん・内藤さんの下屋敷があったここのすぐ横に、新しく宿場町ができた。“新しい宿”だから“新宿”」

江戸と甲斐(かい)をつなぐ甲州街道沿いに存在し、御苑の前身でもあった旧・内藤家の敷地。ここに置かれた宿場町こそが「内藤新宿」。その後、御苑となり農業試験場や皇室の庭園として整備され、新宿は最新の園芸技術や洋風文化の発信地となりました。
そして、昭和以降は一般公開される庭園へ。御苑は、新宿が日本の経済・文化の中心地へ発展するうえで、歴史的に重要な役割を果たしてきました。
新宿を発展させた「淀橋浄水場」

続いて2人は、甲州街道を西へ。新宿駅の西に位置する都庁の方へ向かうと、アーチ状のモニュメントを発見。
(道マニア・髙山英男さん)
「このレンガのアーチが、新宿駅のホームの下にあった」
明治以降、都市の近代化により徐々に暗渠となった玉川上水ですが、その代わりとなる新たな水路が設けられることに。このモニュメントは、明治時代に新宿駅構内の地下に設けられた玉川上水のレンガ造りの暗渠をモチーフとし、当時のレンガを一部使用して設置されました。

また、現在の東京都庁舎の場所には、かつて東京中に水を供給するための「淀橋浄水場」が存在。玉川上水の衛生的な問題から設置されたこの施設は、水のろ過・貯蔵といった重要な役割を担い、急速に近代化する東京の街を支えました。
「この浄水場のおかげで、付近はとても水に恵まれた土地となった。さらに、学校や病院などのいろいろな公共施設も増えたそう。淀橋浄水場が新宿を発展させ、新宿が東京の中心となっていった」と髙山さんは言います。
初台駅の近くに残る「三字橋」の欄干

2人はさらに西へ。初台駅(はつだいえき)付近に差し掛かると…
(道マニア・髙山英男さん)
「橋の痕跡がある。橋の名前は、『三字橋(みあざばし)』」
道沿いには、玉川上水に架かっていた「三字橋」の欄干が今も残されています。明治から昭和にかけて大部分が暗渠になった玉川上水。地元の方によると、昔は蛍が飛ぶほど綺麗な水路だったものの、徐々に水質は悪化し、昭和40年以降に暗渠となったそう。

1970年代、「新宿副都心計画」によって、淀橋浄水場の跡地には京王プラザホテルや新宿住友ビルなどの高層ビル群が建ち並ぶことに。
この再開発を機に新宿駅の利用者はさらに増加。淀橋浄水場は1965年に廃止されましたが、その後はかつての浄水場の高低差を活かした都庁通りや中央通りなどの幹線道路が誕生し、今でも副都心・新宿を支えています。
CBCテレビ「道との遭遇」2025年9月2日(火)午後11時56分放送より
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