カットボールを変えた谷繁元信のひと言。川上憲伸が明かす黄金バッテリー秘話
CBCラジオ『ドラ魂キング』、「川上憲伸、挑戦のキセキ」は、野球解説者の川上憲伸さんが、自身のプロ野球人生を「挑戦」という視点から振り返るコーナーです。2月4日の放送では、谷繁元信捕手との黄金バッテリーがさらなる高みへ進化した過程について伺いました。聞き手は宮部和裕アナウンサーです。
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この記事をradiko(ラジコ)で聴く「キャッチャー誰にする?」
2004年、落合博満新監督による新体制がスタート。2月1日のキャンプ初日に異例の紅白戦が行なわれ、川上さんはいきなり146キロを計測するなど、エースとしての存在感を示しました。その相棒は、多くの勝利を中日ドラゴンズにもたらした谷繁元信捕手でした。
落合監督は当時、川上さんに直接「今日、キャッチャー誰にする?」と聞きに来ることがあったといいます。川上さんが「僕は谷繁さんしか考えられないです」と答えると、「だよな」と返ってきたそうです。
しかし谷繁さん自身は、リード面でパターン化してしまうことへの悩みを抱えていたようです。
川上「谷繁さんは10年以上も同じような打者と対戦してきて、やっぱりどこかで麻痺したり、悩みもあったんでしょうね」
落合監督や森繁和ヘッドコーチが他のキャッチャーを起用したり、トレードで選手を呼んだりしたことが、逆に谷繁さんにとっては良い刺激になり、もう一度シンプルにリードすることにつながったのではないかと川上さんは分析します。
3塁側へのカットボール
そんな中、谷繁さんから川上さんにある提案がありました。
それまでカットボールはホームベースの1塁側にしか使っていませんでしたが、最近バッターが意識し始めてうまく捉える打者も出てきたと谷繁さんは指摘。そろそろ3塁側にも大きめに投げられないかという話になったというのです。
外からカットボールを投げるようになると、空振りや三振が増えるようになりました。
川上「同じ球種なんですけど、それを逆側のホームベース側で使うっていうのは、あんまり日本のプロ野球界ではなかったんですよ」
メジャー流の「バックドア」
実は、この配球はメジャーリーグでは当時から存在していました。「フロントドア」や「バックドア」と呼ばれる、内から曲げる、外から入れるという投球術です。
日本では基本的に、ホームベースの内側から外に逃げていく変化球が主流で、外から入ってくるという発想はあまりありませんでした。しかしメジャーリーグへの意識をずっと持っていた谷繁さんは、そのアレンジを川上さんに提案したのです。
さらに谷繁さんは、岩瀬仁紀投手のスライダーにも同様のアレンジを施しました。それまでホームベースのだいたい真ん中から3塁側に曲がっていたスライダーを、1塁側のボールゾーンからギリギリでストライクになるように投げてもらうようにしました。
川上「右バッターにとっては本当に厄介だったと思います。ピッチャーがやってるというよりは、キャッチャーがアイデアを生んでいく」
落合監督や森繁和ヘッドコーチの中にも、おそらくそういうアイデアはなかったのではないかと川上さんは語ります。
「谷繁さんだけだった」
当時のセ・リーグには、東京ヤクルトスワローズの古田敦也捕手、阪神タイガースの矢野燿大捕手、読売ジャイアンツの阿部慎之助捕手、そして谷繁さんと、日本を代表する素晴らしいキャッチャーが揃っていました。
川上「どのキャッチャーも特徴があって、みんな素晴らしかったです。だけど、外から曲げるっていう配球を考えるのは、谷繁さんだけだったと思います」
ピッチャーの潜在能力を「こんなもんじゃないよ」「お前、もっといいもの持ってるんだよ」と引き出すのは本来ピッチングコーチの役割ですが、谷繁さんが引き出したという気がすると川上さんは語ります。
黄金バッテリーへの道
当時、小田幸平捕手が起用される試合もありました。3連戦の流れを汲み取るのが谷繁捕手の妙だったため、1日だけの交代には違和感を覚えた時期もあったと宮部は振り返ります。しかしそれも、黄金バッテリーがさらなる高みを目指す過程だったのかもしれません。
細かい指示ができる谷繁さんと、それにさらりと応えられる川上さん。そして、それをすべてもたらしたのは落合博満監督の起用でした。
(minto)
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