田畑や沼地から大都市へと変貌を遂げた東京・池袋 かつて流れていた「水窪川」の暗渠道を巡る旅

全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』では、道マニアがイチオシの道を紹介。今回は、東京・池袋にある暗渠道から歴史を紐解きました。(この記事では道情報だけをまとめてご紹介します)
田畑や沼地が広がる池袋を流れていた「水窪川」

新宿・渋谷と並ぶ東京の三大副都心の1つであり、世界第3位の乗降客数を誇る池袋。その昔を遡ると、かつては人が寄り付かない田畑や沼地で、駅開業当初は“狸や狐のための駅”と呼ばれたそう。
「池袋の“池”は水絡み。“袋”は、湿地・沼地・池などが囲まれている地形によく使われる」と道マニア。さらに、都内最大級のランドマーク「サンシャインシティ」をはじめ、多彩な商業施設が立ち並ぶエリアに暗渠道があると言います。
池袋駅・東口エリアのサンシャイン60通りから南に入ると、道が少し下がっている飲み屋街「美久仁小路(みくにこうじ)に辿り着きます。
池袋駅とサンシャインシティの中間に位置する「美久仁小路」は、戦後の区画整理により「蟹ヶ窪(かにがくぼ)」という湿地帯に移った闇市から、現在の街の形が形成されました。

そんな「美久仁小路」には水が湧く水源があり、池となり流れ出していたそう。少し離れた場所にある「水久保」の地名にちなんで、「水窪川(みずくぼがわ)」と名付けられたその川は、都市化により昭和初期に下水道へと転用。
水窪川の暗渠道は蛇行しており、湿地を好む植物をはじめ、段差や擁壁など、多くの暗渠サインが見られます。
監獄や拘置所を経て大都市へ

サンシャインシティに隣接した、豊島区で最大面積を誇る公園「イケ・サンパーク」一帯は、明治期は「巣鴨監獄」、昭和初期には「東京拘置所」として稼働されました。戦後は米軍の管理となり、「巣鴨プリズン」と改称。多い時で1800人を超える戦犯の収容施設だったそう。

その公園の一角には、巣鴨プリズンで出た排水を流すのに使っていた石造りの排水口跡があります。巣鴨プリズンが返還され、高度成長期には「サンシャインシティ」を建設。旧地名「日出町(ひのでちょう)」が由来で名付けられたと言われており、街は大きく発展しました。

その隣の処刑場跡地だった場所には「東池袋中央公園」が造られ、受刑者を祀る慰霊碑が建てられています。
水窪川は護国寺近くのエリアで突如民家に遮られますが、敷地の塀に沿って流れていた痕跡が残っており、文京区を流れる神田川と合流します。
CBCテレビ「道との遭遇」2025年4月15日(火)午後11時56分放送より
番組紹介
