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積雪期に活躍した住民悲願の道 雪国に眠る富山県の水路隧道と雪中隧道とは

積雪期に活躍した住民悲願の道 雪国に眠る富山県の水路隧道と雪中隧道とは
画像:CBCテレビ『道との遭遇』

ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、全国800か所以上の道を巡ってきた道マニア歴19年の石井あつこさんが、富山県にある“廃道”を巡ります。※廃道は危険ですのでむやみに立ち入らないでください。

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画像:CBCテレビ『道との遭遇』

石井さんと一緒に旅をするのは、一般の男性。2人が訪れたのは、2004年の合併で南砺市(なんとし)となった利賀村(とがむら)。

(道マニア・石井あつこさん)
「富山県は峻険な峡谷に村があり、豪雪地帯で往来が大変だった。同じ村の中でさえ往来が大変だったが、それを攻略した道がある」

利賀村は西側に利賀川、東側に百瀬川(ももせがわ)が流れており、標高1000mを超える山々に囲まれています。非常に急峻な峡谷地形のため、村の中の往来も非常に困難な場所でした。そんな難所を攻略するべく、山を貫いて造られた住民の悲願の道を目指します。

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

国道471号から旧道を進むと、廃道区間に現れたのは昭和30年竣工の「楢尾(ならお)トンネル」。

当時はこの場所に道を造っても利用者数に対して工事費用が見合ってないという理由で、県から補助金がおりず実現しなかったそう。一体、どのようにして造ることができたのか?

(道マニア・石井あつこさん)
「正攻法では車道を造ることが叶わなかった。しかし、道路隧道じゃなくても隧道を掘ることはできると気づき、田んぼを開くことにした」

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

人が通るための隧道では補助金が出なかったため、利賀村の有識者は農業の補助事業に着目して開田計画を立て、百瀬川から農地への水路として隧道をつくる案を提出。

昭和28年にその計画は承認され、2年間の工事を経て長さ800mの水路隧道が完成。その後、村の単独事業として水路の上に歩道を設置することで、念願の道路が完成しました。

(道マニア・石井あつこさん)
「田んぼを作る大義名分を得て穴を穿つことに成功した。この水路ができたおかげで美しい田んぼが広がり、さらに人々が往来でき、小学生が安心して通学できる人道隧道を開通させた」

昭和63年にはすぐ南に「新楢尾トンネル」が開通。「楢尾トンネル」は廃道となり、現在は立ち入り禁止となっています。

積雪期に活躍 素掘りの雪中隧道「栃折隧道」

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

続いて向かうのは、南砺市利賀村と富山市八尾町(やつおまち)の境にある廃道。「楢尾トンネル」から北上すると、国道471号沿いに突如「栃折(とちおり)隧道」が現われます。

(道マニア・石井あつこさん)
「栃折峠を越えて集落に下りて市街に抜けるルートになっている。荷を運んだり、郵便を運んだりするために造られた人道の隧道。かつ、積雪の時期に使われていたので“雪中(せっちゅう)隧道”とも言われている」

豪雪地帯でもある利賀村は、冬の半年間、主要道路は通行止めとなり陸の孤島状態に。この状態では郵便物なども届かず、日々の生活に支障が出てくるため、人が往来できる最低限の大きさで昭和34年に「栃折隧道」が造られました。

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

利賀村には“雪中隧道”が3か所存在しており、郵便局員は隧道を通った先の交換所で、それぞれの郵便物を仕分けして届けていたそう。利賀村からの郵便物は隣の八尾町へ届けられ、そこから鉄道に乗せて運んでいたのだとか。

昭和43年頃、当時の村長が6台のブルドーザーを導入し国道の雪を整備するようになったため、徐々に「栃折隧道」は使われなくなりました。隧道内は無骨な素掘りの姿をしており、現在は入り口から322mほど進んだところで封鎖され、行き止まりになっています。

6月4日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より

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