消えた川の足跡を追う 名古屋の「暗渠道」から辿る川の歴史 熱田神宮の参拝前に身を清めた「精進川」も

2024年2月13日(火)放送
消えた川の足跡を追う 名古屋の「暗渠道」から辿る川の歴史 熱田神宮の参拝前に身を清めた「精進川」も

ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、川が流れていた場所の上にできた“暗渠道(あんきょみち)”をこよなく愛する道マニア歴14年の髙山英男さんと、名古屋にある“暗渠道”を巡ります。

「堀川」誕生の裏で暗渠になった「大幸川」と「彩紅橋」の痕跡

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

高山さんと一緒に旅をするのは、街で声をかけて快諾してくれた一般の男性。

(道マニア・髙山英男さん)
「名古屋で有名な堀川や新堀川は、人が造った人工の川。それに隠れて消えていった自然河川もたくさんあった。なぜ無くなってしまったのかを、街の人たちに話を聞きながら紐解いていきたい」

2人が最初に訪れたのは、名古屋市北区。徳川家康の命により名古屋城への舟運のために造られた「堀川」を上流に向かって歩くと、暗渠になっている「大幸川」が「堀川」に合流している地点があります。

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

そして、「大幸川」の暗渠道を進んだ先にあるのは、道幅のある道路の「彩紅橋(さいこうばし)通」交差点。川に架かっていた「彩紅橋」が地名として残っており、かつて川だったことを示しています。

地元の方に話を聞くと、この道は工場から旧陸軍飛行場(現名古屋空港)まで飛行機の部品を運ぶのに、トラックの振動による損傷を防ぐため牛車を使って通っていたそう。その後、民間が経営していた路面電車が市電として公営化し、狭かった道が拡張。昭和初期には「大幸川」や「彩紅橋」はなくなってしまったのではないかとのことでした。

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

「大幸川」の暗渠道から少し外れた場所にある神社「六所社(ろくしょしゃ)」には、当時の「彩紅橋」の欄干が保存されています。他にも不要になった橋の親柱が集められ、境内にある掲示板の土台には様々な橋の親柱が使われています。

「新堀川」誕生の裏で消えた「精進川」と「裁断橋」の痕跡

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

続いて2人が訪れたのは、「堀川」の誕生から約300年後に造られた、熱田神宮の近くを流れる「新堀川」。街の発展に伴い、「堀川」だけでは賄いきれない舟運を活性化させるべく造られたと言われています。

(道マニア・髙山英男さん)
「“新堀川”は、もともと別の“精進川”だった。クネクネ曲がっていて舟運に使えず、広く掘り直して造られたのが“新堀川”」

現在、「精進川」の大部分は「新堀川」として生まれ変わりましたが、一部完全に埋め立てられてしまったエリアが存在。「精進川」の痕跡を探しながら、川が辿った歴史を紐解きます。

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

熱田区伝馬(てんま)町に入ったところで、川があったことを示す暗渠サインを発見!現れたのは、お寺「姥堂(うばどう)」に設置された「裁断橋」の痕跡。その名の由来は、当時「裁断所」と呼ばれた、今でいう裁判所が橋の近くにあったためと言われています。

地元の方に話を聞くと、「(精進川は)熱田神宮へお参りに行く前に、体を清めるための川だった」とのこと。しかし明治37年(1904年)、日露戦争勃発を機に「熱田兵器製造所」を精進川の近くに設置することが決定。敷地造成のための土砂と水運の確保を兼ねて川は改修され、さらに大正15年(1926年)には完全に埋め立てられたとのこと。

「姥堂」にある「裁断橋」の痕跡は、縮小して復元されたものだそう。かつての擬宝珠(ぎぼし)は、名古屋市博物館に所蔵されているとのことです。

2月13日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より

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