横浜は川にフタをした“暗渠”が多い!?川の痕跡が残る暗渠道を巡る旅

2023年10月3日(火)放送
横浜は川にフタをした“暗渠”が多い!?川の痕跡が残る暗渠道を巡る旅

ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、川が流れていた場所の上にできた“暗渠道(あんきょみち)”をこよなく愛する道マニア歴14年の髙山英男さんと、横浜市にある“暗渠道”を巡ります。

3つの川が一緒になる「千代崎川」の暗渠道

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

髙山さんと一緒に旅をするのは、プロギャルのMAAACHIRIN(まーちりん)さん。2人が最初に訪れたのは、横浜中華街の近くにある千代崎川の河口。

(道マニア・髙山英男さん)
「(上流に向かって)この先はトンネルみたいになっていて川がつながっている。この先を辿って、千代崎川の源流まで行ってみたい」

河口から暗渠を歩いていると、盛り上がっている道に遭遇。

(まーちりんさん)
「変わった感じの道。なんでここを段差にする必要があったのかな」

この段差がまさに暗渠サイン。「川のフタを頑丈なものに工事していったから、高くなったのかも」と髙山さんは言います。

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

さらに進むと、昭和37年頃まで千代崎川に架かっていた「市場(いちば)橋」の親柱を発見!付近の道路には橋の痕跡も残っており、かつては川が流れていたことを感じさせます。地元の人曰く、当時の川は生活用水で排水が流れていたそう。

横浜駅根岸道路に差し掛かったところで、「ここで千代崎川は3つの流れが一緒になる」と髙山さん。その上流は3本の支流に分かれ、2人がいる場所がかつての「猿田川」「簑沢(みのさわ)川」「江吾田川」の合流地点だそう。

北側を流れる「猿田川」と真ん中を流れる「簑沢川」の源流は米軍根岸住宅地区、南側を流れる「江吾田川」の源流は根岸森林公園あたりのようです。

人の都合で開削し埋め立てられた「新吉田川」&「新富士見川」

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

続いて訪れたのは、横浜スタジアム近くにある大通り公園。

(道マニア・髙山英男さん)
「次はちょっと珍しいハイカラな暗渠道」

大通り公園は新吉田川の暗渠だそうで、「埋められた新吉田川の跡を、今は水の代わりに地下鉄が行き来している」と髙山さんは言います。

大通り公園には川のデザインがあしらわれたモニュメント、近くにある新富士見川跡の富士見川公園には橋の名前が書かれた石碑があるなど、暗渠サインが散りばめられています。

(道マニア・髙山英男さん)
「新吉田川と新富士見川は、人の都合で掘って人の都合で埋められ、昭和45年にいっぺんになくなった」

「新吉田川」と「新富士見川」は明治時代、物資を船で運ぶために開削されましたが、鉄道や車が発達したことで川が不要になり、埋め立てられたそうです。

せせらぎに生まれ変わった「富岡川」

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

最後はこれまで巡った道をヒントに、地図から暗渠道と思われる場所を探して行ってみることに。2人が暗渠道だと推測したのは、京急富岡駅近くの根岸湾へと通じる川が途切れた場所。実際に行ってみると、川の水が道路の下を通って流れている様子が確認できました。

(道マニア・髙山英男さん)
「大当たり!間違いなくここから上流が暗渠道」

暗渠を辿って進むと防災倉庫が置かれていたり、車止めやクネクネ道などが見られたりと、多くの暗渠サインが。

さらに進んで辿り着いたのは、小径(こみち)の脇を流れる“せせらぎ”。看板には「富岡川せせらぎ緑道」と書かれています。市に問い合わせたところ、「富岡川」は下水道の整備に伴い1995年に暗渠化。かつては護岸のないキレイな川だったようで、魚を獲って遊んだ住民もいたそうです。

10月3日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より

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