おしゃれは永遠のテーマ!日本に初上陸した「パーマ」が歩んだ驚きの美容史

おしゃれは永遠のテーマ!日本に初上陸した「パーマ」が歩んだ驚きの美容史

その始まりは紀元前3000年の古代エジプトとも伝えられている。女性たちは髪に湿った土を塗りつけて、それを木の枝に巻きつけて髪にウェーブを施した。まさにカールである。髪のおしゃれは、19世紀フランスでのヘアアイロン登場、20世紀に入ったドイツの水溶液と加熱器利用を経て、いよいよアメリカの「電気パーマ」へと歩んでいく。

日本に「パーマ」が入ってきたのは大正時代。1923年(大正12年)にアメリカから電気パーマの器具が輸入されたのだ。専用の薬品と、それを髪につけた上でウェーブをつけるための加熱器具という組み合わせだったが、当時はその珍しさに衝撃が走ったと伝えられている。それはパーマを施す時の“スタイル”にあった。髪を少しずつ巻き上げた個々のカーラーから、それぞれ電熱コードが伸びている。その数は20本から30本もあり、頭上30センチほどのところにある装置につながっている。それは加熱器、自動で温度を調整する機能やコードを巻き上げる機能も付いていた。髪の毛は真上に逆立ち、その姿はまるで動物の“ハリネズミ”のようだった。電熱コードにつながれて、髪にウェーブが定着するまで2時間から3時間、身動きができない不思議な美容風景だった。

実は少しの危険も伴っていた。それは熱さ、頭上の加熱器には加熱し過ぎないように警報ライトまで付いていたほど。アメリカでファッションを学んだ美容家のメイ牛山(牛山春子)さんは1928年の著書で、パーマを紹介しているが、「熱くてたまらないから扇風機が必要」「失敗すると頭に火傷することもある」など、なかなか穏やかでない記述まである。それでも、ヘアスタイルにかける女性たちの思いは、そんなリスクにも負けなかった。
1930年代に入ると「電気パーマ」を専門とする美容院が続々と登場していった。

CBCテレビ:画像『写真AC』より「パーマをかけた女性」

しかし、戦争がそんな美容の楽しみにも影を落とす。太平洋戦争が近づくと共に、英語を使用することは禁じられ「パーマ」という名前は「電髪(でんぱつ)」と呼ばれるようになった。さらに「ぜいたくは敵だ」という空気の中、軍も正式に自粛を命令し、「電髪」を禁止する標語まで登場した。1945年(昭和20年)の終戦と共に、「電髪」は「パーマ」として復活を遂げた。1950年代には「コールドパーマ」が登場し、熱を使わずに薬品だけで髪にウェーブをつけることが可能になり、男性にも広がっていった。さらに、くせ毛を逆に真っすぐにする「ストレートパーマ」もお目見え、まさに“逆転の発想”も加わって、「パーマ」は美容史での地位を確立した。

最初はあまりに奇抜な美容方法によって驚きが広がったものの、魅力的なヘアスタイルを追求する人々によって「電髪」いや「パーマ」はすっかり暮らしに定着した。「パーマはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが刻まれている。

          
【東西南北論説風(285)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。

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