織田信長亡き後の小牧・長久手の戦いで「負けて天下を取った」豊臣秀吉の戦略
CBCラジオ『伝令!武将が現世でラジオを始めたようです!』は、400年の時を経て現代に蘇った名古屋にゆかりの武将たちと足軽集団・名古屋おもてなし武将隊(R)が、日本の歴史を楽しく紹介する歴史バラエティ番組です。3月28日の放送では豊臣秀吉・前田慶次・陣笠隊の足軽・踏舞の3名が出演し、「小牧・長久手の戦い」を話題にしました。
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「この日何の日?」コーナーは、先週土曜日から今日までの1週間の日付で過去に起こった歴史上の出来事・記念日を解説。話題は1584年3月28日に起こった「小牧・長久手の戦い」について。
この戦いでは、豊臣秀吉(当時は羽柴姓)と徳川家康が小牧山(現在の愛知県)で対峙した戦いです。
前田慶次「小牧山城は(織田)信長様の居城であったところであるな」
踏舞「そこに徳川様が陣を取られたと」
豊臣秀吉「儂は小牧山城の対岸である犬山城じゃな。ここも信長様の叔父上殿が築かれた城で、そこに儂は本拠地を置いたと」
小牧山と犬山から「悪口を言い合っておったんじゃろ」と笑う慶次ですが、当時は最前線にいる足軽たちが相手方の悪口を言い、それに起こった相手方の足軽が石を投げるあたりから始まることもあったといいます。
睨み合いは約1か月
秀吉は、小牧山城に向かってじわじわと周辺の支城を落としながら向かっていきました。
秀吉「でも最初はな、お互い睨み合いを利かせておったんじゃ」
慶次「どれくらいの期間だったんでござるか?」
秀吉によると約1か月程度は睨み合っていたそう。
あまりにも秀吉が動かないので、配下の池田輝政と森長可が「もう待てない、自分たちが先陣を切る」と岩崎城(現在の愛知県日進市)を落とします。
これを見ていた家康側も、まずいと思ったのか動き出し、ついに戦本番が幕を開けました。
勝利より実益を選択した秀吉
実際に両軍がぶつかった場所は、現在の愛知県長久手市付近です。
慶次「この戦いで秀吉様は勝ったんですか?負けたんですか?」
この戦いで敗れたのは秀吉。しかし、先に天下人となったのは、家康ではなく秀吉です。
秀吉「確かに軍事的な面では負けた。戦いには負けておるんじゃけど、要は頭の良さ(戦略)では勝った」
戦場での勝敗よりも政治や外交を重視していた秀吉。
織田信雄(織田信長の次男)を味方に引き入れるなどして家康を孤立させ、最終的に講和へと持ち込みました。この結果、家康は実質的に秀吉に従う立場となります。
その後も秀吉は各地の大名を従えながら全国統一を進め、朝廷から関白に任じられることで権威も確立。戦術ではなく戦略で勝利し、天下人への道を切り拓いたのです。
全国統一後、刀狩や太閤検地などの政策で大名や農民を統制、国内の秩序を整えました。これにより戦乱の時代は終わり、政権が安定しますが、晩年には朝鮮出兵(文禄・慶長の役)を強行し、諸大名から不満や疲弊を招きます。
1598年に死去すると、有力大名同士の対立が再燃。その中心となったのが家康で、最終的に関ヶ原の戦いで勝利、政権の主導権を握りました。
小牧・長久手の戦いは、信長が本能寺の変で斃れた後の天下分け目の戦いでもあったと言えそうです。
(葉月智世)
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