川上憲伸が見抜いた谷繁元信の挑戦。1998年日米野球での発見とは
CBCラジオ『ドラ魂キング』「川上憲伸、挑戦のキセキ」は、野球解説者の川上憲伸さんが、自身のプロ野球人生を「挑戦」という視点から振り返るコーナーです。12月24日の放送では、現役時代にバッテリーを組んだ谷繁元信さんについて。対戦相手だった時代から川上さんが気づいていた、谷繁さんの「メジャー志向」について伺いました。聞き手は宮部和裕アナウンサーです。
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横浜ベイスターズからFA権を行使して中日ドラゴンズに移籍した谷繁さん。しかし川上さんによると、その前段階で谷繁さんにはある目論見があったといいます。
川上「谷繁さんはなぜドラゴンズに来たかっていうと、あんまり皆さん知られてないと思うんですけど、メジャー目指してたんですよ。アメリカ大リーグを」
川上さんがプロ入りした1998年、日米野球で谷繁さんとバッテリーを組む機会がありました。その時、川上さんはある発見をします。
川上「当時メジャーで最も有名なキャッチャー、イバン・ロドリゲスがいて。その動きと谷繁さんが似てるんですよ」
イバン・ロドリゲスと重なる所作
川上さんが気づいたのは、細かな仕草の類似点でした。
川上「なんか所々の仕草とか、マスクの触り方とか、手首の回し方とか。胸にあるプロテクターを2度、3度揺さぶる動きとか。そういう仕草が『あれ、これ似てるな』って思ってたんです」
当時は今と違い、メジャーリーガーの映像情報が入ってくることは少なかった時代。それでも谷繁さんはイバン・ロドリゲスの動きを把握し、自分のスタイルに取り入れていたのです。後にメジャー挑戦の話を聞いて、川上さんは点と点が繋がったといいます。
憧れが、やがて挑戦という現実へ。川上さんは谷繁さんのメジャー志向の原点を、その所作から見抜いていたのです。
メジャー断念の背景
しかし、谷繁さんのメジャー挑戦は実現しませんでした。川上さんは当時のメジャーにおけるキャッチャーの評価基準について語ります。
川上「アメリカは当時、キャッチャーに徹するっていうよりも、バッティングがいい人が選ばれてたっていうイメージがあったので」
日本ではキャッチャーは守備面での評価が重視され、バッティングは後からついてくるという考え方が主流でした。一方、アメリカでは打撃力が先行して評価される傾向があったといいます。
川上「普通のホームランバッターでも難しかったですからね」
結局、谷繁さんは方向修正を決断。国内でのFA移籍という選択をし、山田久志新監督が獲得に動いたドラゴンズへの入団が決まりました。
「のちに繋がってくるんです」
川上「僕は谷繁さんのメジャーの話をなんでしつこくしてるかっていうのは、のちに繋がってくるんです」
川上さんはそう言って含みを持たせました。
イバン・ロドリゲスは、華やかさとフィジカルの強さで結果を残し続けたスーパースター。そんな選手を目標にしていたからこそ、谷繁さん独自のスタイルが生まれたのかもしれません。
川上さんと谷繁さん、ふたりの物語はまだまだ続きます。
(minto)
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