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プロ1年目の川上憲伸が高橋由伸に感じた「アメリカで日本人に会った安心感」

プロ1年目の川上憲伸が高橋由伸に感じた「アメリカで日本人に会った安心感」

CBCラジオ『ドラ魂キング』、「川上憲伸、挑戦のキセキ」は、野球解説者の川上憲伸さんが、自身のプロ野球人生を「挑戦」という視点から振り返るコーナーです。7月9日の放送では、のちにプロ野球界でも名勝負を繰り広げることになる慶應の高橋由伸選手との交流と、プロ初対決での独特な感覚について語りました。聞き手は宮部和裕アナウンサーです。

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高橋由伸との出会い

明治大学のエースとして活躍していた川上さん。当時の東京六大学には、後にプロ野球で活躍することになる選手が数多く在籍していました。

「この時代のライバルというとどなたですか」という宮部の問いに、川上さんは「もちろん慶応大学の高橋由伸くん」と即答。

さらに「法政大学にも1年生からエース的に投げて、後に近鉄バファローズにドラフト1位で行った真木(将樹)投手もいました。僕らの同級生には各チームにすごい選手がいましたよね」と当時を振り返りました。

大学時代に育まれた絆

川上さんと高橋選手の関係が深まったのは、1年生の冬に行なわれたアトランタオリンピックに向けた学生代表合宿でした。

2週間にわたる合宿を高橋選手と共に過ごした川上さん。この経験をきっかけに、ふたりは連絡を取り合う親しい関係になったそうです。

お互いが4年生になってキャプテンを務めた時期も、頻繁に連絡を取り合っていたといいます。

「チームの状況とか、怪我人が多いとか、治療はどこに行ってるのかとか、そういう連絡を取ったり、食事も行ったりする仲でした」

当時の慶應義塾大学は非常に注目されており、高橋選手は神宮球場でのホームラン記録もかかっていました。

しかし川上さんと高橋選手は、ライバル関係というよりも、むしろ東京六大学野球全体を盛り上げたいという思いを共有していたといいます。

「慶應と早稲田だけじゃなくて、明治とか法政も、もっと賑やかにしたいよなみたいな話はよくしていましたよね」

プロでの再会は「懐かしい」感覚

プロ入り後、川上さんは中日ドラゴンズ、高橋選手は読売ジャイアンツの一員として対戦することになりました。

「プロに入っての新人1年目の対決も、数ヶ月前は学生同士で戦っていたんです。僕はマウンドに行って、高橋由伸が巨人のユニフォームを着て打席に入っている時っていうのは、なんか妙に懐かしいっていうか、学生時代が懐かしいという感覚になったんですよね」

当時の巨人は清原和博選手、松井秀喜選手をはじめとする強力打線を擁していました。その中での高橋選手の存在について、川上さんは意外な心境を語ります。

「ホームランバッターがたくさんいる中で、高橋由伸がポツンと現れた時っていうのは、興奮状態が一瞬冷めるっていうか、収まるっていうか、落ち着くんですよ」

「アメリカで日本人に会ったような」

この不思議な感覚を、川上さんは独特な比喩で説明しました。

「例えばアメリカとか旅行に行って、自分の英語がどこまで通用するかって、実際ドキドキ不安じゃないですか」

川上さんは、プロのマウンドで高橋選手と対戦することを、外国人ばかりの環境で日本人を見つけた時の安心感に例えました。

「6番バッターぐらいで高橋由伸が来た時は、はっきり言って、アメリカの土地でいきなり日本人を見かけたような感じなんですよ。ちょっと落ち着いたっていうか、ちょっと間違ってもいけるだろうみたいな感じの、この人にって」

高橋選手は対戦相手でありながら、懐かしく安心できる存在だったのです。

すべてを決めた初対決の1打席目

プロ入り後、川上さんと高橋選手は13シーズンにわたって対戦を続けました。ルーキーイヤーの川上さんは、高橋選手を打率0割4分5厘に抑え、わずか1安打しか許しませんでした。

「この話は1、2年前にようやくふたりで話したんですけど、1年目のさらにその1打席目が全てだったかなっていうのは、僕もそうだったし、高橋由伸の方からもそこに関しては全く一緒の意見だったんですよね」

明治のエースと慶應のスラッガーとして競い合ったふたりにとって、プロでの初対決、特にその1打席目は「全てだった」と語るほど特別な瞬間だったのです。
(minto)
 

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