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埼玉県秩父市の森林鉄道に銭湯やパチンコ店はあったのか?廃線跡から娯楽施設の痕跡を探す旅

埼玉県秩父市の森林鉄道に銭湯やパチンコ店はあったのか?廃線跡から娯楽施設の痕跡を探す旅
CBCテレビ『道との遭遇』

ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、全国800か所以上の道を巡ってきた道マニア歴19年の石井あつこさんが、埼玉県にある森林鉄道跡を巡り歴史を紐解きます。

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廃線跡から人々の営みを紐解く!森林鉄道「入川森林軌道」の歴史

CBCテレビ『道との遭遇』

石井さんが訪れたのは、埼玉県秩父市(ちちぶし)。

(道マニア・石井あつこさん)
「レールが現存している森林鉄道の一つ『入川(いりかわ)森林軌道』を訪ねたい。行くのは20年振り」

廃線になる前には、銭湯やパチンコ屋さんなどの娯楽施設があったという噂があり、その痕跡を見つけたいとのこと。国道140号から分岐する道から、かつてあった森林鉄道「入川森林軌道」の廃線跡を目指します。

(道マニア・石井あつこさん)
「森林軌道が現役の頃の地形図を見ると建物を示す記号があるので、軌道の工事にかかわった人がこの辺に集まって居住していたんじゃないかなと」

分岐してすぐのところに民家の跡が。その先は関係車両以外入れませんが、登山道として開放されているとのことで、石井さんは突き進みます。

CBCテレビ『道との遭遇』

(道マニア・石井あつこさん)
「明治の初期は、もともと大滝村(現在の秩父市)の村有林だった。それを、当時の東京帝国大学(現在の東京大学)が広大な土地を購入した。林業や森林資源の研究、財産の確保という目的があったと思う。それが東京大学演習林の始まり」

大正5年、森林資源の確保や林業の研究を行うために東京大学が創設した「秩父演習林」。大正12年に伐採した木材を搬出するための鉄道の建設が決まると、その工事は小森川沿いで森林鉄道を管理していた民間会社が請け負いました。

CBCテレビ『道との遭遇』

工事開始6年後の昭和4年、2.5kmの軌道が敷設され、徐々に木材の搬出が行われるようになります。その後も延伸工事が進み、昭和11年に全長約6kmの入川森林軌道が完成。40年にわたって稼働を続けてきましたが、昭和44年、伐採可能な樹木の枯渇と国道の建設により廃線となりました。

(道マニア・石井あつこさん)
「森林鉄道は北海道から沖縄まで1000路線、8000kmはあったとされる。斫伐(しゃくばつ)した木材を運ぶのが主たる目的であるのは間違いないが、集落があれば物資を運んだり、林業で集落が栄えて学校ができれば通学路として利用されたりもした。山に住む人達の拠り所になっていたと思う。運び出された資源は様々な用途に使われて、日本の近代化を根底から支えていた」

レールや片洞門が残る廃線跡

CBCテレビ『道との遭遇』

山道の路面にレールが残っている場所もあり、かつて森林軌道があったことがうかがえます。途中には岩が削られた片洞門の姿も。そして、「赤沢谷の出合」に到着。

(道マニア・石井あつこさん)
「ここが『入川』の起点。『荒川』とも呼ばれ、スタート地点ということで石碑がある」

埼玉県と東京都を流れる、全長173kmの「荒川」。上流部の秩父を流れる川は「入川」と呼ばれ、起点はこの場所だとされています。

(道マニア・石井あつこさん)
「接続する上部軌道はモミ谷まで約2.4km続いていて、ここから“簡易索道(さくどう)”で木材などを下して川又まで運んでいた」

CBCテレビ『道との遭遇』

ワイヤーロープを使って木材や荷物を運搬する“索道”は、道や車両の通行が難しい場所で使用されていました。この場所でも数十メートル先の傾斜が急な区間は索道を使って木材を下ろしていたそうで、道中には簡易索道のワイヤーの痕跡が今も残ります。

次第に標高が高くなり、辺りには積もった雪が。あと1kmほど進むと上部軌道の終点とのことでしたが、時間や天候の状況を鑑みて、安全を期して下山することに。

入川森林軌道には銭湯や娯楽施設がなかった!?噂の真相とは

CBCテレビ『道との遭遇』

(道マニア・石井あつこさん)
「集落の痕跡も娯楽施設もどこにあったのか見当がつかないので、地元の方にお聞きできればいいなと」

この地で人々はどのような営みをしていたのか真相を突き止めるべく、まずは秩父市立秩父図書館へ。しかし、具体的な内容がおさめられた資料が見つからず、別の森林軌道についての本を書かれた森林インストラクター・山中正彦さんにお話を伺いました。

当時はまだ国道が整備されておらず、森林軌道の拠点の川又へ運んだ木材は索道を使ってその先へ運んでいたそうで、郵便物等も索道で運んでいたとのこと。最盛期は入川の集落に70戸の住宅があり、事業所や貯木場もありましたが、銭湯や娯楽施設はなかったそうです。

CBCテレビ『道との遭遇』

秩父市の中津川には、かつて140種類もの鉱物を産出した「秩父鉱山」が存在。最盛期には800人ほどの人が働き、鉱山地帯には3000人近くの人が住んでいたと言われています。

山の中の一つの町とも呼ばれ、銭湯や娯楽施設、学校もあったそう。「入川森林軌道には銭湯や娯楽施設があった」という噂は、秩父鉱山のことを指しているのではないかと山中さんは言います。

(道マニア・石井あつこさん)
「遺構というのはいつか無くなってしまうものだが、そんな中で私みたいに実地踏査したり、地元の方が調べて記録に残してくださったりして、記憶や記録からは消えないというのを感じ取れた一日になった」

CBCテレビ「道との遭遇」2025年4月29日(火)午後11時56分放送より

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