祖父江!岡田!本当に今までありがとう!ドラゴンズを支えた2人へサプライズメッセージ!

【ドラゴンズを愛して半世紀!竹内茂喜の『野球のドテ煮』】CBCテレビ「サンデードラゴンズ」(毎週日曜日12時54分から東海エリアで生放送)
13年連続CS進出の可能性消滅

寂しい、ただただ寂しい。
先週流れたサンドラのスポットCMから消えた二文字がある。それは“CS”。これまで勝率5割を切りながらも、なんとか3位に入れば熱い秋を感じられると応援に力を入れていた多くのドラファンの願いもかなわず、13年連続でCS進出の可能性が消滅した。借金の数も最大17(9/21終了時点で借金15)まで膨らみ、もはや意気消沈。何故ここまで低迷し、弱体化したのか。抱える闇はまだまだちょっとやそっとじゃ晴れないようである。
寂しいといえば、祖父江大輔、岡田俊哉両投手が今シーズン限りでの引退を発表。長年厳しい場面での登板を強いられてきた左右のセットアッパーであっただけにファンから労いや感謝の言葉がSNSなどで多く見受けられた。今週のサンドラはその両投手が番組生出演!ドラゴンズ一筋に投げ続けた野球人生を振り返った。
さらば“眼光ビーム”

“宙船”のイントロがかかるといつもバンテリンドームには熱い歓声が響いた。ドラゴンズに入団して12年、勝ち負け問わず、どんな場面でもお呼びがかかれば右手を振り続けた祖父江投手。引退会見時、“僕は中日で最後終わりたかったので”と答えるほどチーム愛は誰よりも強い。2014年ルーキーイヤーから中継ぎとして54試合に登板。2020年には福敬登投手、ライデル・マルティネス投手(現讀賣ジャイアンツ)とともに『大福丸』と呼ばれた勝利の方程式を結成し、最優秀中継ぎ投手に輝いた。入団から中継ぎ一筋のタフネス右腕。今シーズン、生え抜きとしては球団史上5人目となる500試合登板も達成した。
中継ぎとして抑えるばかりでなく、時として打たれては逆転負けをくらった苦い経験を何度も味わった現役生活12年間。ただずっと変わらず応援してくれたファンへの感謝の思いは強い。相手を睨みつける鋭い眼差しから、サンドラを放送しているCBCテレビから名付けられたのが“眼光ビーム”の愛称。しかし一度マウンドを降りると、その優しい人柄でファンだけではなくチームメイトからも愛された。それは同僚からいじられて思わず笑いが起こるという引退会見でも見て取れたほどだ。
そして9月20日、バンテリンドームで行われた対東京ヤクルトスワローズ戦。通算510試合目の登板。それがラストピッチとなった。中村悠平選手からセンター前ヒットを放たれ、苦笑いでマウンドを降りる結果となったが、やはり最後はアウトを取って現役を終えたかったのは本意であろう。それは引退セレモニーの挨拶にも言葉として表れていた。
祖父江投手「今日は三振を取るぞと意気込んできた。明日からこのメンバーと野球ができないと思うとすごく悲しい」
もう眼光ビームから卒業できると思うとホッとしているとも語った祖父江投手。ストレートとスライダーで抑え続けてきた12年(本人曰く、シュートもフォークもあり)。何ひとつ悔いもなくユニホームを脱ぐ。
出会った人すべてに感謝

2009年のドラフト会議で1位指名され、ドラゴンズブルーのユニホームを身にまとった岡田投手。落合竜黄金期の入団だっただけに、とにかく当時のチームは強かった印象しかないという。
岡田投手「まず入った時は、チームが強すぎてとんでもないところに来てしまったな」
二軍でしっかり体力強化を図り、4年目の2013年シーズンに一軍デビュー。66試合に登板すると、2017年には侍ジャパンにも選出。しかし血行障害で投手にとって生命線ともいえる左腕を手術。それでも一年後に復帰を果たし、中継ぎとして27試合に登板した。2019年には守護神として奮闘。しかしそんな岡田投手にさらなる試練が襲った。
2023年沖縄北谷キャンプ。オープン戦登板中に右大腿骨を骨折。日常生活すらままならない大けがを負い、オフには育成契約。いつ投げられるか見当もつかない日々の中、それでも岡田投手は“極論を言うと生きているだけでも幸せ”と、前を向き続けた。
そして今年、懸命のリハビリで念願であった支配下選手へ復帰。6月19日のオリックス・バファローズ戦にて2021年10月13日以来およそ4年ぶりとなる一軍での本拠地登板を果たした。
岡田投手「バンテリンドームで復帰登板ができた時のファンの方からの声援、歓声は一生忘れないです。出会った人すべてに感謝したいと思います」
そして最後のマウンドへ。先発として、スワローズの主砲・村上宗隆選手と対峙。見事見逃し三振に打ち取り、プロ入り16年354試合目の登板を鮮やかに締めた。
“良い時も悪い時も全部含めて幸せなプロ野球人生でした”
番組内で可能ならばドラゴンズで指導者として汗を流したいと語った岡田投手。16年間養った経験を是非若竜投手たちへ与えてもらいたいと願うばかりである。
寄せられたサプライズメッセージ
実はこの日サンドラはそれぞれふたりに対し、労いの意味を込めてサプライズメッセージを用意していた。まずは祖父江投手には小さい頃から憧れ続けた現讀賣ジャイアンツの桑田真澄二軍監督だ。
桑田二軍監督「現役生活本当にお疲れさまでした。同じ身長くらいの選手は親近感があって応援したくなるんですね。祖父江くんも175センチくらいだと思うんですが、小さいながらにすごく頑張っているなと見ていました、闘志あふれる投球スタイルはすごく好きでした。これからもなんらかの形で野球界に貢献していってほしい」とコメントを寄せた。
岡田投手には同じ高卒ドラ1としてとても可愛がっていた小笠原慎之介投手(現ワシントン・ナショナルズ)からビデオレターが届いていた。
小笠原投手「岡田さん、いや岡田俊哉さん、いや違うな!トシくん、本当にお疲れさまでした」
同じ高卒ドラ1として手取り足取り、プロとしての行い諸々を教えてくれたことに感謝を述べた小笠原投手。さらに岡田投手の人思いの性格を物語るエピソードを披露。
小笠原投手「大きなケガもあって、自分の面倒を見てくれるより、俊哉さんのケガの方が間違いなく大変だと思っていたのですが、優しくいつも話してくれて本当に助かりました」
ドラゴンズを去る際、愛着のある背番号11を岡田投手に付けて欲しいと申し出た小笠原投手。信頼が強い証だ。
小笠原投手「俊哉さんみたいに長く、現役を続けられるように頑張りたいです」
特に高卒選手へは気をかけて見てきたという岡田投手。小笠原投手に対し、“まあまあ打たれてますよね”と笑いを誘うコメントから後輩への愛情が感じ取られたものであった。
もう負けるドラゴンズは見たくない
経験豊かなベテラン投手がふたり去る。チームとしてはその代わりとなる投手が台頭としてもらわねば戦っていけないわけだ。ドラゴンズ投手陣は12球団でもトップクラスと言われたのはいまや昔の話。やはり戦力の底上げなくしては明るい未来はない。来シーズンは球団創設90年を迎える節目の年。必ずやレギュラーシーズンだけでなくポストシーズンでもバンテリンドームで大歓声が聞けるよう、ドラゴンズに携わる全員が一丸となって球団改革を進めて欲しいと願う。負けが込むドラゴンズなんて、もう金輪際見たくない。
そして最後に。
祖父江投手、岡田投手、今まで体を痛めてまでドラゴンズのために投げ続けてくれて本当にありがとうございました。これからの活躍を楽しみにしています。
ありがとう祖父江!岡田!
がんばれドラゴンズ!
燃えよドラゴンズ!
竹内 茂喜