恐怖体験・蓼科でいきなり現れて消えた爆撃機の謎

8月15日放送のCBCラジオ『北野誠のズバリ』では、怪奇蒐集家の中山市朗さんを迎えて怪談を特集をしました。この記事では、番組リスナーから寄せられた怖い話、不思議な体験を抜粋します。北野誠が投稿を紹介します。
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この記事をradiko(ラジコ)で聴く爆撃機がこちらに
8月15日はお盆と同時に終戦記念日です。
リスナーのメールにも戦争の思い出が色濃くあります。
「実は今年の6月初旬に妻と蓼科清里旅行中の出来事です。
県道を運転しているときに、山裾から飛行機が飛んでいるのをちらっと見えました。そして大きなカーブを曲がり、ものすごく高い陸橋に差し掛かった時、目の前に大きな飛行機がこちらに向かって飛んできました。
ほんの一瞬のことでぶつかるかと思われるくらい陸橋の谷沿いをすり抜けていきました。
そのときパイロットの服装がマッカーサー元帥のようなものでした。
飛行機は爆撃機、こちらも下り坂でかなりスピードが出ていましたので、そのまま走り続けました。
『さっきのは何だった?こんなところで映画のロケか何かしてたのかな?』と妻と話していました」(Aさん)
B29の記事が
投稿の続きです。
「家に帰り、気になってネットでアメリカ軍の練習や映画撮影など調べましたが、ヒットしません。
そこでナビの録画映像をチェックしましたが、この時間のものはありませんでした。この爆撃機みたいなものを見てから3時間くらい運転してました。
私と助手席の妻の見たものは幻だったのか?このことを以降話すことはありませんでした。
今週のお盆怪談特集で様々な怪談を不思議に聴いていてふと気になり、ネットで調べたら戦時中に山梨上空でB29にゼロ戦が体当たりして、燃えながら墜落したという記事をみつけました。
あの峠の山裾を通り抜けた瞬間、我々夫婦は車ごとタイムスリップして即戻ったのでしょうか?思えば思うほど、鮮明にパイロットの服装が蘇ります。
このちょうど一時間前に野辺山の宇宙電波観測所に立ち寄ったときから時空のズレがあったのか?霊感がまったくなく、競馬と株にしか興味がない私ですが、これを見たのは妻とよく覚えています」(Aさん)
航空自衛隊の怪
北野「いい話ですね。なかなかないです」
中山さん「自衛隊怪談を集めていますが、主に陸上自衛隊の話は収集できますが、航空自衛隊は『言えません』と言われます。
その中で聞いたのが、九州の方の自衛隊の滑走路。今から自衛隊機が離陸する。と、滑走路の脇に大勢の人が立って手を振ってくれているが、それが第二次世界大戦の頃の服装。女性はモンペはいて手を振ってくれている。
そこは特攻隊を見送った場所だったので、それとリンクするのか、時間がずれているのか、『よくありますよ』と言っていました」
北野「これもなんか実際にあったことが一瞬で見えたのでしょうね」
八甲田山の夜の出来事
1902年に雪中行軍演習時に起きたのが、八甲田山の山における世界最悪の遭難事故です。
「今から4年前、カミさんと青森旅行に出かけました。2泊3日の2日目十和田湖畔のホテルでの出来事。
その日は八甲田山ロープウエイ近くから八甲田山の山裾を抜けてホテルに入りました。
その途中、あの青森第五歩兵連隊210名が八甲田山中で雪の中でほとんど亡くなられた追悼の碑があったので、カミさんに『寄っていこうか?』といったら、『もう夕方なので早くホテルに行こう』と寄らず、ホテルへ入りました。
その夜のことです。
夜中に窓の外で足音がするんです。それも一人二人ではなくザッザッという感じで、まるで軍靴の足音で怖くなり、横で寝ていたカミさんに『いま聞こえなかった?』と聞くと、背中を向けて何も答えません。
朝早く起きて昨夜の出来事を聞いたら、カミさんが『あんたのベッドの向こうに誰か立っていて、怖くて怖くて目もあけられないし、気配は感じるので背を向けて寝ていた』と言うので驚きました。
そんな話をしている最中、早朝からカミさんのラインの通知音が鳴り、開いてみたら何も来てないし、変な感じになり、朝風呂に行き、何気なく自分の部屋のドアにある部屋番号を見たら210号室。これも偶然なのでしょうか?」(Bさん)
八甲田山の雪中行軍にまつわる怪談はたくさんあるようです。人の思いというのは100年たった今も残っているのでしょうか?
(みず)
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