秋田県の水路跡「四十間堀」を巡る旅!暗渠道マニア流“暗渠の見つけ方”とは
ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、川が流れていた場所の上にできた“暗渠道(あんきょみち)”をこよなく愛する道マニア歴16年の髙山英男さんが、秋田県にある暗渠道を探索しました。
暗渠道マニア・髙山さんに密着!“暗渠の見つけ方”とは

髙山さんは、自身のSNSで「きょうの暗渠」と題し、ほぼ毎朝暗渠道の写真をポストするなど豊富な知識を持っています。そんな髙山さんが、秋田県を初訪問。初めての土地で暗渠道を発掘し、歴史を紐解いていきます。

最初に訪れたのは、地域の資料が豊富な秋田市立中央図書館。秋田市をメインに、暗渠の情報を収集します。中でも欠かせないのが、インターネット上で明治期以降の古地図と現代の地図を比較できるサイト「今昔マップ」。年代ごとに川の有無を確認できるため、とても重宝しているそう。すると…
(道マニア・髙山英男さん)
「現在の秋田南中学校の前を秋田駅方面に向かって、昔は真っすぐ水路が通っていたよう。たぶん暗渠になっていると思うので、どれくらい暗渠として残っているのか確認してみたい」
また、「古地図によると、近くにクリーニング工場があったみたい」と髙山さん。排水を流すのに便利という理由で、「川べりにこの工場を作ったのでは」と言います。

さらに、秋田南中学校の前の“大堰(おおぜき)”に架かる橋の写真も発見。このように、地元の資料から川が流れていた範囲や暗渠になった経緯などの情報の精度を上げていきます。
ひと通り図書館での情報収集を終え、いよいよ現地調査へ。以前は農業用水として機能し、昭和50年前後に暗渠化された“大堰”を調査することにした髙山さんは、旭川と太平川に挟まれたエリアに向かいます。

すると、さっそく暗渠サインの一つである“車止め”を発見!暗渠道は路面が脆いため、車両の侵入や駐車を防ぐのに設置されていることが多いそう。車止めを発見した髙山さんは、姿を現した大堰の暗渠道に胸が高鳴ります。
(道マニア・髙山英男さん)
「新しく見つけた暗渠道を通る瞬間は、いつもワクワクする」
暗渠道を辿り、髙山さんが古地図で見つけたクリーニング工場は民家に姿を変えていましたが、髙山さんを大興奮させるものが現れます。
(道マニア・髙山英男さん)
「あっ!あれは水門ですね。今でも現役っぽい」
水の出入りを調節する水門は、欠かせない暗渠サイン。さらに深掘りするべく、続いては秋田南中学校の近くへ。図書館の写真にあった、中学校前の水路の痕跡を確かめに行きます。

目的地に到着すると、そこには資料で見たものと同じ位置に、護岸の痕跡を発見。水路があったと思われる痕跡が見られ、その後も大堰の暗渠道や、さらに気になっていた他の川跡も調べ尽くして探索を終えました。
地面の高低差から暗渠道を特定!人工水路「四十間堀」跡を探索

続いては、髙山さんが秋田で最も気になっているという暗渠道の解明に挑みます。
(道マニア・髙山英男さん)
「行方が分からない川が1本ある。川がありそうな痕跡はあるが、その先が分からないので探ってみたい」
そこで、微地形まで心得ているという地形マニアの柳山努さんと合流し、一緒に探索することに。
髙山さんが暗渠道を特定する上で重要視するのが、地面の高低差。川の水はより低い方へ流れることから、暗渠も同様に低地を通ります。
地面のわずかな起伏を読み取り、低い場所を探すことが、かつての川筋を辿る手がかりになるとのこと。柳山さんの力を借りて、調査する場所は…

(道マニア・髙山英男さん)
「旭川(あさひかわ)の右岸におそらく穴が開いていて、その穴から始まっている『四十間堀(しじゅっけんぼり)』を確かめたい。暗渠が途中で終わってしまうが、きっと続きがあるはず」
旭川に繋がる、昭和10年頃まで存在した人工水路「四十間堀」。しかし、そのルートは地図上でいくら探しても見当がつかないそう。

さっそく2人は、秋田駅の西側を流れる旭川沿いへ。すると、水圧を利用して自動的に開閉する扉“フラップゲート”を発見!今は雨水管になっている四十間堀の名残で、たびたび増水する旭川の水が逆流するのを防止するために設置されているそう。
2人は旭川の西側へ移動し、かつての水路の痕跡を探ることに。現在、旭川につながる四十間堀の上には建物が建てられており、その先でも主に長細い住宅や構造物を確認。しかし、誓願寺(せいがんじ)の近くまで来たところで、その痕跡がなくなります。
(地形マニア・柳山努さん)
「誓願寺は江戸時代の初期に置かれたお寺なので、それ以降に堀が通るというのは考えにくい。寺の外郭を回る水路が昔はあったので、その水を旭川に落としていたかもしれない」

柳山さんによると、この一帯はお寺が多く、かつては「寺町(てらまち)」と呼ばれていたそう。その街を隔てるように、南北に渡る水路が設けられていたとのこと。
髙山さんもその水路と旭川が四十間堀で繋がっていたと確信し、今では暗渠になっているという水路跡へ向かいます。
(地形マニア・柳山努さん)
「ここは、寺町の境目の水路跡。水路を挟んで、東は“自然堤防”、西は“後背湿地”だった」

“自然堤防”とは、川の氾濫で土が積もってできた土手状の地形のこと。一方“後背湿地”は、軽い泥や土が集まった低い湿地。どちらも近くに川があることを示す重要な要素です。寺町の水路跡を辿ると、高低差がはっきりと分かる場所も見れらました。
かつての旭川は、武士や役人が住む「内町(うちまち)」と、商人や職人が暮らす「外町(とまち)」を隔てた境目の川で、城を守る堀の役割を果たしていました。
さらに、城下町の外縁部に集められた寺院は防御と防火の役割を果たす「防衛線」として機能していたとのことです。
CBCテレビ「道との遭遇」2025年11月18日(火)午後11時56分放送より





