「このチーム、このメンバーで優勝したかった」中田翔の引退後もドラゴンズに引き継がれたもの
「とある妄想しがちなファンのドラゴンズ見聞録」
CBCテレビ「サンデードラゴンズ」(毎週日曜日午後12時54分から東海エリアで生放送)を見たコラム
「このチーム、このメンバーで優勝したかった」中田翔引退への思い

通算成績1784試合、1579安打、309本塁打、1087打点、1340三振、打率.248。北海道日本ハムファイターズからプロ野球人生が始まり、読売ジャイアンツに渡って印象深い活躍を残してきた中田翔氏は2023年オフに「もう一回、イチから頑張りたい気持ち」と決意しドラゴンズに移籍した。2024年開幕時には4番に座り、5試合連続打点を上げるなど、ドラゴンズの2891日ぶりの単独首位に貢献する活躍を見せた。しかし、持病の腰痛の悪化で5月に二軍降格となりそれ以降は思うような結果が出なかった。状況を変えるべく2025年のシーズン前には15キロの減量で再起をかけたが、復活への道のりは険しかった。「満足いくスイングが出来ないだとか、思い通りに体が動かないとか、これ以上チームに迷惑をかけられないという気持ち」と語り引退を決意した。そして迎えた最終打席では、中田翔氏のバッティングを象徴するかのようなフルスイングで、満員のドームを沸かせた。
「中田翔、今日で現役生活が終わります。このチーム、このメンバーで優勝したかった。これからは、僕もいちファンとしてドラゴンズの応援を全力でしていきたい。ドラゴンズのユニフォームを着られて本当に幸せでした。今まで、本当にありがとうございました」
引退試合ではこう語り、長年戦ってきた身体の疲労の蓄積や、思うように力が発揮できないもどかしさもあったと思うが、最後は大歓声の中拍手で見送られた。
Q「18年間の現役生活どんな時間でしたか?」
中田翔氏「色んなチームの雰囲気などを勉強させてもらいましたし、本当に幸せな18年間でしたね」
Q「一番印象に残っていることは何ですか?」
中田翔氏「最後にドラゴンズに来てからのお立ち台ですかね。最後の2、3年はプロに入って、一番苦しんだ2、3年だったんでその中で、一回はお立ち台に立ちたい、ドラゴンズのファンの皆さんの前で感謝を伝えたいっていう中で初めてのお立ち台だったので印象に残ってますね」
ドラゴンズ在籍時が一番苦しかったと正直に語りつつ、その中でプレーする感謝を持って現役生活をまっとうした中田翔氏。その葛藤の中で育まれた仲間との思い出などを、ドラゴンズでチームメイトだった選手たちに迫る。
苦しみながらも共に戦ったチームメイトから中田翔への質問
大島洋平選手「今一番楽しいことは何ですか?」
中田翔氏「家族との時間ですね。公園に遊びに行くだとか、子供達と時間を共にするということが今までなかなか出来なかったので、当たり前のことかもしれないけど、当たり前に出来てることが楽しいですね」
根尾昂投手「今後野球には携わりますか?」
中田翔氏「今もうそろそろ、まだ野球やりたいなという寂しさも出てきていて、野球はやっぱり大好きなので野球に今後も携わっていきたいなと思っています」
大野雄大投手「中田選手、日々忙しそうな感じがしますがこれからテレビとかもたくさん出ると思うんですが、今までの怖いキャラのままで行きますか?本当は優しい中田選手、選手は皆知っているんで、これからは、優しい中田翔でどうでしょうか?」
中田翔氏「見た目を言われてもどうしようもないと言いますか、引退してからは目付きや顔は一気に柔らかくなったねとは言われますよ。(その前は)僕どんな顔だったのかな?笑まぁ、優しいキャラでいきたいですね」
田中幹也選手「野球以外で何か新しくやることはありますか?」
中田翔氏「先程あったように、野球に携わっていく中で野球に恩返しをしたいっていうのは一番だけど、その他にも自分の好きなこと、アパレルであったり、ジュエリーであったり。ジュエリーは昔から好きなので、そういうものを手掛けていけたらいいなと思います」
柳裕也投手「一番得意な歌は何ですか?」
中田翔氏「川崎さんだったり、優里さんだったりはよく歌うかもしれないですね」
藤嶋健人投手「現役の時も豪快に買い物されてたイメージがあるんですけど、引退後に買った一番高いものは?ブライト健太か加藤竜馬に結構いいビンテージのジーンズをあげていたんですよ。これあげちゃうんだくらいの。豪快ですよね」
中田翔氏「さっきブライト選手っていう名前が出たんですけど、僕昔からネックレスが好きなので、ネックレスはブライト選手にプレゼントしました」
ブライト選手に120万円のネックレスをプレゼントしたとのこと。ちなみに、自身でも引退後に買った一番高いものは2000万円のネックレスだという。
中田翔氏「一緒にいたときに、細いネックレスを着けていて『ダメだよそれじゃ、見栄を張る所は張らないと』と言ったら、ブライトがネックレスを千切ったんですよ。僕も罪悪感に駆られて、太いの2本つけてたんでやるわってことで」
中田翔氏とブライト選手の独特ではあるが慕い慕われの関係が強く感じられる。先輩後輩以上に人間として信頼し合う関係だったと感じる。
「三振を怖がらなくなったのは翔さんのおかげ」後輩先輩からのメッセージ
大将という愛称に相応しい親分肌の中田翔氏が特に親しくしていたチームメイトからのコメントはこうだ。
ブライト健太選手「お疲れ様でした!翔さん、現役18年間お疲れ様でした。お前みたいなタイプが三振怖がったら元も子もないよという話をしていただいて、僕はそれで変な三振を怖がらなくなりました。本当に翔さんのおかげ。翔さんがいなくなって本当に寂しいです」
土田龍空選手「翔さんより少し男前な土田です。酔っ払うと甘えてくる。あのゴツい腕でガシッと。男の人にされて嬉しいものではないですけど、なんか翔さんにやられると嬉しくなっちゃう。名古屋にいるとお聞きしたので、いつでも誘ってください」
平田良介コーチ「翔、18年間現役お疲れ様でした。翔とは高校で初めて一緒のユニフォームを着てプレーをして、翔の最後のユニフォームのときにまた同じユニフォームを着て一緒に野球ができたことはすごく幸せに思います。これからの人生のほうが長いと思うので、どの道に進むか分からないですが遠くから応援して見守っています。これからも頑張ってください」
大切な現役最後の時間を過ごしてきた後輩や先輩からのあたたかい言葉に、中田翔氏はこう答えた。
中田翔氏「素直に嬉しいですし、可愛がってた後輩だったり、尊敬していた先輩、一緒にドラゴンズのユニフォームを着れて時間を共有できたのが良かったなと思います」
2年という短い時間だったが、キャリアを積んで来てそれでもなお再出発する覚悟で挑んだ姿で周りに与えた影響は大きいだろう。ブライト選手の三振を恐れないバッティングはダイレクトにプレーの姿勢として現れている。些細なことも含めて偉大なキャリアを残した中田翔氏が与えた影響は、自身が願った「このチーム、このメンバーで優勝したかった」という思いを叶える道標になってくれることだろう。そんな光景を優しい眼差しで見守ってもらうことを夢みて。
澤村桃









