金丸夢斗が描く“竜の逆襲”ロード、そしてドラゴンズ「投手王国」復活へ

“ただ者”ではないことは分かっていた。けれども、やはり“ただ者”ではなかった。中日ドラゴンズのドラフト1位ルーキー、金丸夢斗が1軍デビューし、その投球を見た多くの人が魅了された。(敬称略)
記憶に残る152キロの初球

プロに入っての第1球、これは、投手ならば誰しも一生残る大切なものであろう。そして、その場に立ち会って見つめたファンにとっても、その1球が素晴らしければ素晴らしいほど、記憶に刻み込まれる。2025年(令和7年)5月5日「こどもの日」、金丸が投じたのは、そんなボールだった。球速152キロのストレートは、横浜DeNAベイスターズの先頭打者、桑原将志の内角へ力強く投げ込まれた。金丸夢斗、22歳、そのプロ野球人生の幕が上がった。
大切に演出されたデビュー戦

ドラフト会議での4球団競合の末、井上一樹新監督が、肩を脱臼した(?)ほどのガッツポーズと共に、抽選で獲得した逸材である。大学4年生の時に傷めた腰のコンディションを考えて、井上監督ら首脳陣も金丸の歩みについては、傍で見ていても慎重なほどに慎重だった。春季キャンプも2軍からスタートし、ウエスタン・リーグでは4試合、その投球回数も、1回、3回、4回、そして6回と徐々に増やした。
そして迎えた1軍デビューは、ゴールデンウィーク最中の本拠地バンテリンドーム。かつて、同じゴールデンルーキーだった根尾昂のデビューが、アウェイの広島だったことを思い出すと、今回は見事な“演出”だった。
美しく力強い投球フォーム

そんなチームの思いに、金丸も応えた。プロでの初球に152キロを投じた桑原をショートゴロに打ち取ると、2番の牧秀悟を空振り三振。日本を代表する強打者のひとりから、プロ入り初の三振を奪った。3番の度会隆輝もレフトフライ、三者凡退で初回を抑えた。何より、マウンドでの所作が素晴らしい。新人投手のデビューは、ファンとしてもドキドキしながら見守るのだが、その心配が払しょくされるほど堂々としたプレート捌きだった。両腕を大きく振りかぶって投げるワインドアップモーションも美しい。かつてドラゴンズに在籍した松坂大輔さんを思い出す。そんな大投手に育ってほしい。いや、育つだろう。
失点、しかし修正能力も見事

そんなルーキーを援護するホームランは、キャッチャーの木下拓哉から飛び出した。1点をリードした瞬間、プロ初先発での初勝利へと期待が膨らんだ。しかし、直後の4回表に2点を奪われて、逆転された。金丸本人が悔やんだのは、1死からの4番、タイラー・オースティンへの四球。それ以上に、続く5番の蝦名達夫をピッチャーゴロに打ち取りながらも、それを捕球できずセンター前ヒットにしたことが残念だった。それでも、続く5回と6回を三者凡退に抑えて修正能力を見せてゲームを作った。6回を投げて2失点、強力ベイスターズ打線から8つの三振を奪った。見事なデビュー戦だった。
竜の貧打線には物申す!

そうなると、厳しい言葉をかけたくなるのは打線に対してである。この試合、ホームラン1本を含む、わずか3安打に終わった。特に7回裏、先頭の4番、オルランド・カリステがレフト前ヒットで出塁した直後、この日5番に入っていた中田翔が、初球を打ってショートゴロのダブルプレーに終わった時は、ドームには悲鳴のような失望の声が広がった。
高卒ルーキーだった近藤真一さん(現・真市)がプロ初登板でノーヒットノーランを記録した1987年(昭和62年)の試合では、4番の落合博満さんが2本のホームランを打っている。1998年(平成10年)、川上憲伸さんがプロ初登板初勝利を挙げた試合でも、大豊泰昭さんのホームランなどで7得点だった。満を持してデビューさせた大切なルーキーを援護できない貧打線が淋しく、そして腹立たしい。
金丸はいったん1軍から外れたが、近い内に2度目の先発チャンスは来る。ドラフト同期の吉田聖弥もウエスタンで好投した。ケガで調整中だった松木平優太も復帰へ歩み出した。高橋宏斗(※「高」は「はしごだか」)を加えた4人の“同学年カルテット”が先発ローテーションに揃う日が、今から待ち遠しい。そんな竜の「投手王国」復活の夢を見せてくれた金丸夢斗のデビューだった。
【CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】
※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『屈辱と萌芽 立浪和義の143試合』(東京ニュース通信社刊)『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。CBCラジオ『ドラ魂キング』『#プラス!』出演中。