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ファン熱狂「野武士野球」と「燃える男」星野チーム大改革~ドラゴンズ1980年代~

ファン熱狂「野武士野球」と「燃える男」星野チーム大改革~ドラゴンズ1980年代~
論説室コラム

ファン熱狂「野武士野球」と「燃える男」星野チーム大改革~ドラゴンズ1980年代~

 2020年5月13日(水) 10:30
北辻 利寿
北辻 利寿
ナゴヤ球場
ナゴヤ球場

球団創設84年目を迎えた中日ドラゴンズの2020年シーズンは、新型コロナウイルスの影響によって開幕を迎えることができない日々が続いている。そんな球団の歴史と熱戦譜を年代別にふり返ってみた。今回は「80年代」(1980~1989年)へ旅をする。(敬称略)

4人の監督による10年間

1980年代のドラゴンズには、実に監督が4人も存在した。中利夫、近藤貞雄、山内一弘、そして星野仙一である。山内以外は、現役時代にドラゴンズのユニホームを着てプレーした“チームOB監督”である。直前の1970年代が、主に水原茂と与那嶺要という讀賣ジャイアンツOBによる監督時代だったことからすると、ファンにとっては昔から馴染みのある監督が登場したと言える。高度成長もあれば不況もある、まるで日本経済を凝縮したようなチーム成績の10年間。竜党にとっては、ワクワクとヤキモキ、どちらも存分に体験できた日々だった。

とにかく面白かった野武士野球

1981年から指揮をとった近藤貞雄監督の野球は「野武士野球」と呼ばれた。いわば「何をしてくるかわからない」豪快なゲーム運びが売り物だった。打者では、田尾安志と平野謙という1、2番コンビ、ケン・モッカ、谷沢健一、大島康徳、宇野勝、中尾孝義、上川誠二という強者・曲者揃い。投手では小松辰雄、都裕次郎、鈴木孝政、郭源治、牛島和彦、三沢淳にベテランの星野仙一と、先発も抑えも力強かった。「野武士野球」が開花したのは近藤監督2年目の1982年。8年ぶり3度目のリーグ優勝を果たした。象徴的なゲームは9月28日ナゴヤ球場での讀賣ジャイアンツ戦。敵の絶対エース江川卓を相手に4点差で迎えた9回裏に一気に同点に追いつき、最後は延長10回に江川をノックアウトした後のサヨナラ勝ちだった。今も多くのドラゴンズファンに語り継がれる熱き試合だが、ワクワクの連続だったことを思い出す。

監督として苦闘した背番号「3」

10年ぶりにチーム生え抜き監督として就任した中利夫監督の3年間、背番号「3」を付けて活躍した華麗なる現役時代とは違って、苦闘の日々だった。特に監督3年目の1980年は、開幕6連敗からスタートし、なんとシーズン通しての最下位。この年の勝率.372は今も球団史上最低の数字である。今あらためて振り返ると、ジャイアンツの10連覇を阻止して20年ぶりのリーグ優勝を果たした1974年の余韻と幻影を、チームもそしてファンも追いかけていたように思う。中監督時代の3年間には、パームボールを操る藤沢公也が新人王、谷沢健一が2度目の首位打者、そして“スピードガンの申し子”小松辰雄が大活躍と話題も多かったにもかかわらず、チームの歯車はどこか空回りしていた。

竜を揺るがせた衝撃トレード

近藤監督の後を受けて就任した山内一弘監督の時代も、乱高下が激しかった記憶がある。
1984年から指揮をとった当初は、熱心な打撃指導が話題になり「やめられない、とまらない」というテレビCMのフレーズから“かっぱえびせん”というニックネームまで付き、ファンにも愛された。監督1年目は、宇野勝がショートを守る選手としては珍しいホームラン王のタイトルを獲得、そのシーズンは宿敵ジャイアンツに14連勝するなど、竜党を歓喜させたが、“ある事件”によって、チームは大きく揺らいだ。田尾安志のトレードである。3年続最多安打を記録するなど、人気も実力も“チームの顔”だった田尾が、西武ライオンズにトレード。それも春季キャンプ直前の1985年1月24日というタイミングだった。この年は小松辰雄が最多勝、最優秀防御率、そして最多奪三振と投手タイトルを総なめにして、沢村賞も獲得したが、チームは5位。翌年も浮上できず、山内監督は7月に成績不振の責任を取ってシーズン途中に休養した。

“燃える男”がチームを変えた

沈滞したチームを一気に活気づけたのは、39歳の青年監督、星野仙一だった。山内監督が退任した1986年秋に監督に就任すると、記者会見で選手たちへひと言と請われ、言い放った言葉が「覚悟しとけ!」。
その言葉の勢いはチーム編成にも大きく反映した。ドラフト会議では5球団が競合した近藤真一を抽選で引き当てた。三冠王を3度も取ったパ・リーグの主砲・落合博満を、1対4という大型トレードで獲得した。そして臨んだ最初の1987年シーズンは、近藤のプロ初登板初先発ノーヒットノーラン達成という偉業もあり、いきなり2位。落合が4番にどっしりと座った打線も安定して、翌1988年には、ルーキー立浪和義や山本昌広ら若手の勢いそのままに6年ぶり4度目のリーグ優勝を果たした。現役時代は「燃える男」と呼ばれた星野は、監督になったこの頃から「闘将」と呼ばれるようになった。この指揮官の熱さに引っ張られるように、ドラゴンズは90年代に突入していった。

【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲  愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。

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