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【日めくりドラゴンズ】中6日が苦手?波乱万丈な野球人生、元中日・ネルソンの思い出。

【日めくりドラゴンズ】中6日が苦手?波乱万丈な野球人生、元中日・ネルソンの思い出。
アナウンサーコラム
日めくりドラゴンズ

【日めくりドラゴンズ】中6日が苦手?波乱万丈な野球人生、元中日・ネルソンの思い出。

 2019年1月24日(木) 11:10
榊原 悠介
榊原 悠介

2011年、連覇を果たしたドラゴンズ。落合監督を胴上げする輪の中に、頭1つ抜け出した長身の男がいた。マキシモ・ネルソン。来日4年目、開幕投手を務めたこのシーズンは、チームトップの209イニング1/3を投げ、10勝。一年間先発ローテーションを守り、連覇に大きく貢献した。

イスラエルリーグから移籍

遡ること3年半前、2008年1月24日。ネルソンは日本の地を踏んだ。かつて偽装結婚に関与したことでアメリカへの入国が禁止されていたため、ドミニカ共和国からフランス経由で日本にたどり着いた。前年はイスラエルリーグでプレー。粗削りだが、204センチの長身、25歳という若さもあり、将来性を買われての入団だった。

来日1年目に初登板を果たすと、2年目の2009年は登板機会が増加。主にビハインドの場面ながら、確実に結果を残した。
7月21日の広島戦では4点リードされた場面で登板すると、打者3人をピシャリ。相手に傾いた流れを引き寄せると、直後にチームが逆転。来日初勝利が転がり込んだ。
9月18日の横浜戦では来日初先発。4回途中5失点という結果ではあったが、2年間で着実に成長した姿を見せた。

実弾所持で逮捕

ところが、2010年。事件が起こる。
2月26日。銃刀法違反の容疑で、ネルソンは逮捕された。沖縄でのキャンプを終え名古屋へ向かう際、那覇空港での手荷物検査でカバンから実弾が見つかったのだ。母国・ドミニカ共和国で護身用に持っていたものが荷物に紛れ込んだ。過失とはいえ犯罪には変わりなく、身柄を拘束された。つい2日前に練習試合で好投し、首脳陣にアピールした矢先の出来事だった。翌日には釈放されたものの、球団からは5月末まで3カ月間の出場停止処分が下された。

なんとか解雇は免れ、もう一度チャンスをもらった。ネルソンは結果で応えた。処分が明けた6月に戦列復帰すると、7月20日の横浜戦でシーズン初先発。チームは4試合連続完封勝利中。5回無失点で、見事にそのバトンをつないだ。続く7月29日の巨人戦で先発初勝利を挙げると、以降は先発ローテーションに定着。9月2日の広島戦では、来日初完封を挙げた。

先発ローテーションの柱に

2011年は、前年13勝のチェン・ウェイン、12勝の吉見一起が故障で出遅れたため、開幕投手を務めた。中日の外国人開幕投手は1986(昭和61)年の郭源治以来25年ぶりのことだった。
夏場は苦しんだ。6月30日に挙げた6勝目を最後に、白星から遠ざかる。7月12日のヤクルト戦から9月6日の巨人戦まで9連敗。8月の5登板は、7回1失点、8回1失点、7回3失点、8回2失点、7回途中3失点と、いずれも好投しながら打線の援護に恵まれず、すべて黒星が付いた。9月11日の横浜戦で久々の白星を挙げるまで、73日を要した。

中6日が苦手?

登板間隔に関する面白いデータがある。ネルソンは間隔を空けない方がいいらしい。
このシーズン、ネルソンは31試合に先発した。開幕戦と、中8日で登板した1度を除いた29試合の成績を、登板間隔で分けてみると以下のようになる。

中6日:10先発(0勝10敗)、71回2/3、自責点23、防御率2.89
中5日:15先発(7勝4敗)、99回、自責点22、防御率2.00
中4日:4先発(2勝0敗)、25回2/3、自責点5、防御率1.75

間隔を詰めるほど、成績がよくなった。

台所事情が厳しかったシーズン序盤、ネルソンは中5日、中4日と間隔を詰めて先発することが多かった。
球宴前までの17先発のうち、中4日が3回、中5日が10回、中6日が2回。他、開幕戦と中8日が1回。
この間、6勝6敗。内訳は、中4日が1勝0敗。中5日が4勝4敗、中6日が0勝2敗。
球宴後から先発陣の駒が揃い、夏場以降は中6日での登板が続いた。
14先発のうち、中6日が8回、中5日が4回、中4日が1回。
この間、4勝8敗。内訳は、中6日が0勝8敗、中5日が3勝0敗。中4日で1勝0敗。

中6日でローテーションを回す日本の常識は、タフネス右腕には当てはまらなかった。

掴んだジャパニーズドリーム

偽装結婚でアメリカ球界を追われ、活躍の場をイスラエルに求め、ようやくつかんだ日本でのチャンス。実弾所持で逮捕された際は、このチャンスまでも失ってしまうのか、ネルソンの頭にそんな思いが去来したに違いない。
登板間隔、打線の援護、そんなものはネルソンにとっては些細なことだったのかもしれない。誰よりもハングリー精神を持ち、降板後もベンチでひと際大きな声で応援。自身の勝ち負けよりも、チームの勝利が本当に嬉しそうだった。敗戦処理から始まった日本でのキャリア。来日当初1070万(推定)だった年俸は、7700万(推定)にまで上がった。まさにジャパニーズ・ドリーム。在籍5年であったが、連覇に貢献した助っ人としてファンの記憶にはしっかりと残っている。

【CBCアナウンサー 榊原悠介
中日ドラゴンズ検定1級。日付からドラゴンズの過去の試合を割り出せる特技を持つ】

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