伊能忠敬はなぜ日本を歩いた?地図の先にあった目的とは
2月25日放送のCBCラジオ『北野誠のズバリ』「松岡亜矢子の地元に聞いちゃうぞ」のコーナーでは、豊田市博物館で開催中の企画展「伊能忠敬―新しい地図の世界へ―」を取り上げました。豊田市博物館の担当学芸員・中島学さんから、伊能忠敬が地図作りを始めた意外なきっかけや、驚異的な精度を実現できた理由について伺いました。
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この記事をradiko(ラジコ)で聴く床一面に広がる日本地図
松岡がこの展覧会を訪れたきっかけは、リスナーから「見に行ってきました」というメールが寄せられたことでした。
会場には伊能忠敬が作成した大小さまざまな地図が展示されていますが、一番の目玉は入口を入ってすぐの場所にある、床一面に敷かれた日本列島の地図です。
伊能忠敬は55歳から歩き始め、足掛け17年で地図を作り上げました。そのレプリカがほぼ原寸大で足元に広がっており、靴を脱いでアクリル板の上に上がることができます。
すべての地名が書き込まれているので、来場者は自分の地域の名前を探して歩き回ることも可能。現在の地図とほぼ変わらない正確さです。
実業家から地図作りへ
松岡によると、伊能忠敬は「地図団」としてお弟子さんたちと一緒に各地を回っていたとのこと。今から200年以上も前のことで、当然車もありません。
それ以前にも地図自体は存在していましたが、ここまで精密に正確に書き上げたものはほぼなかったといいます。
地図を作り始める前の伊能忠敬は、千葉県の商家に養子に入り、米の販売や薪問屋などの多角経営でかなりの財をなした実業家でした。
50歳で隠居した後、昔から好きだった天文学を勉強するために江戸に上京。そこで天文方に弟子入りしたことが、地図作りのきっかけになったといいます。
地球の大きさを知りたかった
では、伊能忠敬はなぜ地図を作ろうと考えたのでしょうか。
当時、江戸の天文方では暦の作成が行なわれていました。暦を作るには星の観察が欠かせませんが、そこで重要になるのが地球の大きさです。自分が北緯何度の位置から星を見ているかがわかれば、天体現象の予測を暦に反映できるからです。
中島さん「伊能忠敬の上司にあたる高橋至時(よしとき)という人物が、地球の大きさに常日頃から関心を持ち、弟子にあたる伊能忠敬も地球の大きさを知りたいと考えました。日本を測量すれば北緯1度分の長さが測れる。地図を作りながら地球の大きさも明らかにしたいというのが、一番最初のスタートだったようです」
地球のサイズを測りたいという純粋な科学的好奇心が、地図作りの出発点になっていたのです。そこから自分の腕試しも兼ねて、最初は自費で測量をスタートしました。
ところが最初に完成した地図を幕府にプレゼンしたところ、あまりの精度の高さに驚かれ、以降は国家プロジェクトとして御用旗を掲げて各地を測量することになったといいます。
コツコツと誤差を潰す執念
館内には伊能忠敬の書いた地図「伊能図」と、それ以前の地図の比較展示もありました。伊能図以前の地図はやはり荒く、国境や愛知県の形がいびつで、精度の差は歴然としています。
では、なぜ伊能忠敬はこれほど精密な地図を作ることができたのでしょうか。
中島さん「几帳面な性格だったようで、測量自体をものすごく丁寧に行なっていることが資料からうかがえます。同じ箇所を2度、3度と測って誤差を少なくしたり、遠くの山を目印にする測量方法を多用して誤差を潰していくという作業を丁寧にやっていました」
特別に新しい方法があったわけではなく、何度も測って平均値を取りながら進めていくスタイル。コツコツと積み上げる努力の才能こそが、伊能忠敬の偉業を支えていたのです。
会期中にはセミナーや講演会も開催されており、3月22日には「伊能忠敬の健康づくり」というユニークなテーマも予定されています。
企画展「伊能忠敬―新しい地図の世界へ―」は、豊田市博物館で3月29日まで開催中です。
(minto)
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