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中日クラウンズ思い出⑥

ゴルフ場のプレーも三密を避けるため、スループレー、クラブハウスで食事取らなかったり、外でお弁当を食べたり、お風呂もシャワーのみ 会計も機械ですませたり 人と人との接触を減らす努力をされているようですね。早くのびのびとプレーしたいですね。

今日は「中日クラウンズ」今回は2007年48回大会を振り返ります。この年は、優勝スコアが-2と伸びず、難しい条件での戦いとなりました。優勝スコア-2は1988年28大会以来の低いスコアでした。

 


大会初日から4日間、激しい雨も時折降り、冷たい北風、それも突風で方向もクルクル変わる気まぐれな風むしろ嵐が選手悩ませます。この年は春の訪れが遅く、夏モードにならないまま4日間が過ぎていきました。

和合は、強い北や北西の風が吹くと、15番17番18番ホールは猛烈なアゲンスト。感覚的には距離が2~3割伸び、寒くてボールは飛ばず、入り口の狭い和合の砲台グリーンのいい位置に止めるのは至難の業。600ヤード弱の15番パー5は、とてつもなく長いホールに、18番はグリーン手前のマウンドを超えられず逆戻り、左右のバンカーにはじかれるとパーセーブは厳しく。17番もグリーンオーバーすと奥からの下りのアプローチがフォローの風で止まらず、手前のからグリーンを飛び出してしまうという信じられないシーンもありました。8番10番ホールなどの短いフォローのホールは逆に風に乗り奥にこぼすと、奈落の底に落ちて大トラブルが待っています。

まさに我慢比べの大会、いかにボギー、ダブルボギーを避け、パーを粘り強く拾いながら、少ないバーディチャンスをものにするか、初日は67の-3アンダーがトップ優勝する宮瀬博文選手、当時選手会長の深堀圭一郎選手が並びました。2日目以降も全体的にスコアはまったく伸びず、2日目、3日目宮瀬選手は、70、70とパープレーと我慢を続けます。特に3日目は厳しいコンデションで18ホールすべてパーというある意味至難の業を成し遂げます。いわゆるスコアカード通りすべてパーでおさめることは「オールドマンパー」との勝負に負けなかったということになります。この言葉、マスターズ創設者のボビージョーンズが述べた言葉といわれ、各ホールにはそれぞれ18人おじさんが住んでいて、プレーヤーの力量を計ろうと仕掛けてくる、パーで通過すれば、そのオールドマンは微笑んでいるという、ゴルフはパーで上がるのが基本という考えです。

それをやりきった宮瀬選手は、3日目終了後、充実感がありました。そして、最終日、難しいコンデションに強い谷口徹選手が追い込み、勝負はプレーオフに、最後まで我慢し続けた、宮瀬選手がパーセーブして復活の優勝、ツアー7勝目、実にプレーオフで4回目の優勝でした。予選落ちしていないはずの先輩、加瀬秀樹選手が出迎えると笑顔に涙、敗れた谷口選手はさばさばした表情でしたが、この年自身二度目の賞金王に輝きます。スコアが伸びないストイックな大会でしたが、表彰式の頃にはきれいなクラウンズブルーの青空が広がっていました。

 

 

 

 

 

 

 

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