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あの甲子園でのユニフォームがっ!

小松辰雄親分。

スピードガンの申し子、再び!


およそ40年前を振り返り、小松辰雄親分は、語りました。

「そう。あの試合に競り勝ち、初めての憧れの甲子園が現実になった」と。

昭和51年夏、二年生エースとして挑んだ富山県の桜井高とのエリア代表の決定戦。当時は石川、富山両県でたった一枠の甲子園切符を争ったのですね。

その夢を追いかけ決戦の舞台に立った両校OB戦。還暦を迎えた元球児が、再現したそうです。

あの三年間を経て、星稜高校プロ第一号となった小松辰雄さん。約四十年ぶりの黄色いユニホームのお姿。師匠の山下総監督もお元気そう。

あの夏があってこそ、150キロ超えの『スピードガンの申し子』であり、ドラゴンズ栄光の『20番』と、小松さんは懐かしげ。

さあ、今年の秋、星稜高の可愛い後輩、奥川投手の、ドラゴンズのエースナンバー『20』姿を勝手に想像してます。

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