季節到来!ゴキブリを捕まえて半世紀の優れもの「ごきぶりホイホイ」誕生秘話

季節到来!ゴキブリを捕まえて半世紀の優れもの「ごきぶりホイホイ」誕生秘話

ゴキブリは、海外でも多くの国に生息していて、4000種類とも言われる。それを駆除するために、殺虫剤や駆除剤を使うなど“戦い”は世界各国で行われてきた。高度成長期を迎えた1970年代、日本でも次々とマンションが建ち、暖房によって暖かい環境ができ上ったため、屋外にいたゴキブリたちも家の中へと“住まい”を変えた。

当時は、プラスチック製の丸型の容器の中にエサを置いて、ゴキブリを捕まえていた。しかし、ゴキブリの姿が丸々見える上、生きたままのため、水につけるなど処分しなければならない、精神的な負担もあった。「ゴキブリの姿を見ることなく、捕らえて処分できないか」。1892年(明治25年)に大阪で創業して、殺虫剤などを製造していた「アース製薬」が、開発に乗り出した。

「工場の外観・1973年当時」提供:アース製薬株式会社

なかなか、良いアイデアが浮かばない中、社長の大塚正富さんは、夏のある日、バスに乗って、兵庫県赤穂市にある工場へ向かっていた。車窓から聞こえる蝉の声、子どもの頃に蝉捕りをしたことを懐かしく思い出していた時、ある考えがひらめいた。蝉を捕まえるのに、たしか粘着性のあるトリモチを使っていた。粘着性の何かでゴキブリも捕まえることができるのではないか。早速、開発チームに指示を出し、すでに商品化されていたハエ取り紙の上に、試しにゴキブリを乗せてみたところ、ものの見事にくっついた。「箱の中に粘着剤を仕掛けて、ゴキブリが入ったらそのまま捨てる」というアイデアが生まれた瞬間だった。

開発の課題は2つあった。効果的にゴキブリを捕まえる「箱の形」、そして、逃げられないようにする強い「粘着性」。ゴキブリは暗い所に隠れたがる習性があるため、箱の内部は暗い色にした。家型の箱を作って、その床部分に粘着剤を塗って、真ん中付近にエサを置いた。これでゴキブリを捕まえることができるはずだった。しかし、1匹も捕獲できない。実は、ゴキブリには敏感な触角があって、下に塗ってある粘着剤に触れただけで、警戒して近づかなかったのだった。そこで、箱の入り口を上り坂にした。傾斜は45度。これで触角は役目を果たさなくなり、ゴキブリはどんどん箱の中に入ってくるようになった。

「初代ごきぶりホイホイ・1973年」提供:アース製薬株式会社

粘着剤は「乾燥しにくく」「強力で」「長持ちする」ものを開発した。こうして、1973年(昭和48年)、ついに商品が完成した。商品名は、当時の怪獣ブームにあやかって、当初は「ゴキブラー」にしようかと検討したが、いかにも、おどろおどろしい。「ゴキブリもホイホイ捕えることができる」という思いを込めて、「ごきぶりホイホイ」とした。この画期的な新商品が誕生して、2023年でちょうど半世紀となった。

「最初は粘着剤を塗って使用した・1973年」提供:アース製薬株式会社

発売当初は、粘着剤は別のチューブに入っていて、使用する前に、箱の床部分に描かれている線に沿って、それを塗ってセットした。しかし、その手間を省くため、あらかじめ粘着剤を塗った上にシートを被せて、剥がすだけで使用できるように改良した。また、ゴキブリの足についている油分や水分によって、粘着性が弱まることが分かったことから、箱の入り口でそれを拭う「足ふきシート」も取り付けた。ゴキブリを誘うエサも、肉、魚、野菜などをブレンドして、よりゴキブリが好む匂いを発散させるようにした。

「海外ホイホイ(上からアメリカ用、ハワイ用、輸出一般用)」提供:アース製薬株式会社

日本で生まれた「ごきぶりホイホイ」は、海外30か国以上に輸出されている。アルファベットで「HoyHoy」と書かれたパッケージは、その国ごとに、箱の色やデザインを変えるなど細やかな工夫がなされていて、世界各地で大人気の商品となった。地球上のあちこちで、今日も次々とゴキブリたちを捕まえている。

「ごきぶりホイホイはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが、“一度入ったら、二度と出られない”自慢の粘着力でくっついている。

          
【東西南北論説風(429)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。

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